「氷川きよし」が“創価学会”信心を告白 「祖父母の代から学会員」「池田大作先生とは常に一緒」…“熱烈信仰”の核心部分

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 歌手・氷川きよしが創価学会の信仰をカミングアウトしたことが話題になっている。昨年初めから休業し、今年はデビュー以来所属していた事務所を退社。新事務所を設立して夏に活動を復活させた氷川。それ以来、急速な“創価学会”人脈への傾斜が見える。その背景には何があるのか。

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 氷川が学会員であることはこれまでも知られていた。例えば、お笑いタレントで元創価学会員の長井秀和氏(西東京市議会議員)は、かつて、氷川と共に、創価学会の本部幹部会で池田氏に激励を受ける機会に恵まれたことがあった。その際、心酔した様子の氷川は、涙ぐみながら壇上の池田氏を見つめていた――と昨年、「週刊新潮」に証言している。

お題目をあげていれば幸せになれる

 そうした光景は学会の中ではよく知られていたし、週刊誌などに報じられてきたこともあった。しかし、氷川自身はこれまで公にすることはなかった。

 その氷川が11月14日に発売された聖教新聞社発行の雑誌「WORLD SEIKYO vol5」の巻頭インタビューに登場。「ありのままの私でいる『勇気』」と題されたその記事の中で、大きな悩みや葛藤を抱えた人生の支えとなってきたのは、「創価学会の信仰だった」とはっきり述べているのである。

 インタビューでは、氷川が福岡で過ごした小学校時代に「オカマ」「貧乏人」「デブ」などの言葉を投げつけられ、時に暴力を振るわれたという「いじめ」の過去が明かされている。「消えてしまいたい」と思うこともあったそうだが、氷川は次のように述べている。

<そんな時、心の支えになったのが、池田大作先生(創価学会第3代会長)の言葉でした>

 曰く、

<私の家は祖父母の代から創価学会員です。両親の「大丈夫だよ。お題目をあげていけば、必ず、幸せになれるよ!」との言葉に、いつしか御本尊の前に座り、祈るようになりました。母に連れられて参加した座談会では地域の学会員さんが温かく接してくれたことが、とてもうれしかったのを覚えています>

 歌を始めたのも、創価学会がきっかけだったという。

<小学3年生からは、学会の少年少女部の合唱団に入団。歌うことが大好きだった私は、「自分の歌で人に勇気や希望を与えていきたい」と思えるようになったんです>

「氷川君 頑張れ」

 高校2年生の時には、福岡ドームで開催された学会のイベント「アジア青年平和音楽祭」に出演し、池田氏の前で、5万人の合唱団の一員としてベートーベンの「第9」を合唱。「必ず歌手になって、自分の使命を果たしていきます」と誓ったという。そしてその願いを叶えるために上京。知り合いがいない東京で、生活を支えてくれたのは、地域の学会員だったと告白している。デビュー後5年経って初めて池田氏から声をかけられ、翌年には「世界の芸術博士に! 氷川君 頑張れ!」との激励を受けた。それを生涯の指針としているという。

 先に述べたように、氷川は2023年からこの夏まで、歌手活動を休業していた。その際には、

<アメリカやイギリスなどに長期滞在し、現地のSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーと交流をさせていただきました>

 休業中の昨年11月15日には、池田氏が死去した。それについてもこう語っている。

<今でも私の中には、先生が残してくださった多くの言葉があります。胸中の先生と常に一緒なのです。これからも、いつも見守り続けてくださった先生への報恩感謝の心を忘れず、自分らしく歩んでいきます>

 そして最後に述べる。

<ありのままであることは、とても「勇気」が必要です。私にとって、その勇気の源泉こそ、日々の唱題です。どんなに苦しくても大丈夫。「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(『日蓮大聖人御書全集新版』)ですから>

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