「私のやり方が悪かったと事件を矮小化しないでほしい」 “サムライ大使”と呼ばれながら激しいバッシングを受けた「青木盛久氏」が明かした本心

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 青木盛久さんは、あの事件に遭わなければ、おそらくその名を広く知られることはなかった外交官だろう。1996年12月、青木さんが大使を務めていたペルーで、日本大使公邸を左翼ゲリラの「トゥパク・アマル革命運動」(MRTA)が占拠。ペルーの政府要人や日本企業の駐在員らとともに、127日間にわたり人質として拘束された事件だ。

 38年、現在の栃木県那須塩原市生まれ。両親ともに高名な外交官に連なる。栄光学園高校から東京大学法学部に進み、63年、外務省に入省。...

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