生活に困って両親と二世帯同居も「妻が浴槽に入りたがらない」 44歳夫の崩れゆく家庭

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“勘違い女”だったの?

 好きな業界で好きな仕事をしているはずが、生活のための仕事になっていた。それも彼のストレスや不安につながっていった。結婚はやはり自由を奪われるものだと彼は言った。それなら結婚しなければいいと世間は言うのだろうが、してみなければわからないこともある。

「その後も妻はワンオペになっていましたから、たまには早く帰って手伝ったりはしましたよ。半年もたつと、うちの娘は世界でいちばんかわいいと思っていたし、僕は僕なりに家族を大事にしたいと感じていました」

 美和さんとは子どもを間に挟んで、可もなく不可もなくという状態の関係だった。会話はほとんど娘のことだけだったが、それでも成立してしまうのが夫婦である。娘が3歳になったころ、美和さんは娘を保育園に預けて仕事を再開したが、ブランクがあるフリーランスという立場では、そう簡単に仕事は入ってこない。

「美和は少し苛立ちを見せましたね。自分なら、仕事をすると宣言したとたん舞い込んでくると思っていたみたい。それは甘いよと言ったら、ものすごく怖い目で睨まれました。彼女、いっぱしにキャリアがあると思いこんでいた。20代後半で仕事を辞めたのだから、もともとそれほどキャリアがあるわけじゃないのに。え、そういう“勘違い女”だったのと、ちょっと引きました。妻はそんな僕の様子をすぐに察知して、『あなたは私をバカにしてるでしょ』と言いだした。このころからですね、目に見えて妻との関係が冷えていったのは。でも娘のために結婚生活を続けるしかなかったような気がします」

 離婚したとしても美和さんには収入がないし、恭幸さんひとりで子どもを育ててはいけない。利害関係は一致していた。だから離婚はふたりとも考えていなかった。

 娘が来年から小学校入学というときになって、突然、コロナ禍が訪れた。エンタメ業界は大きな痛手を受け、恭幸さんの仕事はほとんどなくなった。自宅待機するしかない日々が続く。企画を立てても実現する見通しはなく、会社からも副業ができるならどんどんしてくださいとメールが来た。

「副業といっても、僕ができることなんてなかった。ミュージシャンの知り合いに連絡をとったら、僕らと同様、いや、もっとひどい状態だった。転職も考えたけど、『こんな時期に転職してもいいことはない』と妻は大反対。それもそうですよね。たまたま家の近所のコンビニでアルバイトを募集していたので、僕は働き始めました。学生時代にコンビニでバイトをしたことがあったのでなんとか仕事は飲み込めました」

 そんなとき、両親から「うちに来ないか」という話があったのだ。

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