生活に困って両親と二世帯同居も「妻が浴槽に入りたがらない」 44歳夫の崩れゆく家庭

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「子どもができた」…食べていけるのか

 大学を出て父が嫌うエンタメ業界に入り、同時に家を出てひとり暮らしを始めた。もう実家に戻って生活することはないと思っていた。20代のころは女性の家に転がり込んだり、同棲したりと好きなように暮らしていた。

「自分が家庭をもって落ち着くことなんてないと思っていたんですよ。でも30歳になって周りを見渡すと、自由に暮らしていたヤツが結婚して、仲間が集まるときに子どもを連れてきたりして。そういうのもありかもと思うようになりました」

 勤務先に出入りしていたフリーランスの女性とつきあい始めて2年ほどたったころ、「子どもができた」と知らされた。結婚するべきときが来たと感じて、すんなり結婚したのが33歳のときだ。相手は5歳年下の美和さんという女性で、まじめに仕事をしてはいたが、キャリアを積んでいきたいというタイプではなかった。ふたりきりになると、甘えて自分の弱さをさらけ出す。当時は、それがかわいかった。だが、結婚して一緒に暮らすうち、美和さんはどんどん強くなっていった。妻となり、母となれば当然のことだが、彼は「短期間にこんなに女性は変わるのか」と恐ろしさを感じたという。

「結婚すると妻はあまり仕事をしなくなりました。まあ、つわりも苦しそうだったし、まずは家庭をととのえたいという気持ちもわかったので、僕から仕事をしてほしいとは言わなかったけど、オレの給料で親子3人、食べていけるのかという不安はありましたね」

 恭幸さんは進んで残業や休日出勤を引き受けた。「働き方改革」の前の時代である。人手不足のイベントには積極的に参加し、社内のいくつものプロジェクトを買ってでた。給料にはインセンティブがプラスされるシステムだったので、稼ごうと思えば稼げたが、体はきつかったという。

わが子の誕生、「正直うれしくなかった」

 必死に働いているうちに美和さんのお腹はどんどん大きくなり、「気づいたら娘が産まれていた」と恭幸さんは言う。当時は本当に多忙で、今日明日にも生まれるかもというときでさえ彼は仕事をしていた。陣痛の間隔が近くなったとき、美和さんは自分でタクシーを呼んで病院に行ったそうだ。

「僕が病院に行ったのは、生まれてから数時間たってからでした。美和は僕の顔を見ると、『今ごろ来るなんて』とむくれていました。うちの母も美和のおかあさんも来ていて……。微妙な空気でしたね。『仕事しないと食っていけないから』と冗談交じりに言ったんですが、それもよくなかったみたいで」

 子どもを抱いたときは胸に迫るものがあったが、女性3人の少し冷たい視線に耐えかねて、彼はすぐに病院をあとにした。

「子どもとなると男は居場所がないなという感じでした。この分だと時間がなくて、子育てもろくにできないから、それもあとから恨まれるんだろうなと思った。せっかく子どもが産まれたというのに、僕はあまりうれしくはなかったというのが正直なところです」

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