客に失望されても“ハゲキャラ”は拒んだ…「歌丸さん」の落語愛 旧友だから語れる「笑点」とは別の顔
木久扇が歌丸との芸談は避けた理由
K:でもお客さんはその落差でがっかりしちゃう。でも歌丸さんは、それを貫いたんですね。それくらい落語愛がある人でね。だって、普通だったら引退しちゃうのに、あんな鼻から吸入器を入れてまで、そういう姿を見せて落語をやったっていうのは歌丸さんが初めてですね。うしろに酸素吸入の機械がついてて、痛々しかったです。だから変な話、歌丸さんがここで死んでくれるんじゃないかって、お客さんが沢山入っていました。みんなハラハラして。ドキュメント落語って(笑)。
――お二人での会話は、映画の話が主だったんですか?
K:あとね、おせんべいはどこが美味しいとか。ぼくは芸談がきらいなんです。あと、歌丸さんとは落語の方向が違うんでね。歌丸さんは笑点での言葉遣いがきれいで、間、間でちょっと皮肉を挟むような話し方は大したもんだと思うんですが、ぼくとは全く方向が違うんでね。だから、芸談は避けましたね。
――木久扇師匠があえて避けていたんですね。
K:そうですね。歌丸さんは全身全霊で落語愛の人でしたが、ぼくが落語に対する距離は、ラーメン党やったりして、違うものにも興味があったんですね。そういう芸人さんってあまりいないんじゃないかな。だから芸談をしても合わないんです。ぼくは商人の倅だから、「寿限無」(じゅげむ)を何回やったか、それでいくら儲けたかを計算するわけです。例えばぼくの売り上げの中で一番は「寿限無」でダメなのは「首提灯」だと。すると売り上げの一番いいやつをやるわけです。でも他の噺家さんは、売り上げのことまでは考えない
――その発想に直結しませんね。
お金の話をするのはカッコ悪い?
K:だからぼくは、だんだん「彦六伝」とか「片岡千恵蔵伝」とか、そっちの方向に行くわけです。ウケがよくて売り上げが良かったものだから。要は入金と売り上げなんです。
――なるほど(笑)。他に似たような感覚の人、おられますか?
K:落語家は、そういうお金の話をしちゃいけないとか、かっこ悪いとかっていう意識がありますからね。だからぼくみたいに堂々と前面に出すっていう人はいないんですよ。儲かるからやっているっていうより、好きだからやってる人が多いんですよ。ぼくだって好きだけど、好きだって言ったら面白くないから。儲かるからやってるって言ったほうが伝わるしね。
――確かに。師匠しかいないですね。
K:ぼくは87歳になるけど、笑点を辞めたのは、みんな病気でヨレヨレになって辞めていくでしょ。でもぼくは元気で、寄席も出てて、今も本を出そうってやってるでしょ。そういう人がこれまでいなかったんですよ。とても末路が痛々しいとか。ぼくはそれがカッコ悪いし、嫌だったんですよ。
――歌丸師匠と、ちょっと双極っていう感じですね。
K:そうですね。落語に対する姿勢もですし。ぼくみたいな者もおいてくれている、弾かれない世界です。
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この記事の前編では、同じく『木久扇の昭和芸能史』(草思社)より、中国にラーメン屋を出店するため、林家木久扇が田中角栄のもとを訪れた際の、昭和らしい豪快な陳情エピソードを紹介している。