「中国でラーメン屋やりたい」に田中角栄が激怒… 林家木久扇の“昭和過ぎる”陳情エピソード
2000坪のラーメン事業、無下にするわけにもいかず…
――もう行かざるを得ないわけですね(笑)。
K:どうやって断ろうかと。
――断るのも一苦労ですよね。
K:でもそんな時に、中国では天安門事件(1989)が起こって、向こうから治安が定かでないんで、 ちょっと棚上げさせてくださいって連絡がありました。
――そりゃもう、ラーメンどころではないですからね。
K:ほんとにね、展開がやめる方向になったので助かりました…。
――話に戻りますが、田中角栄さんという方はどんな印象ですか?
K:とにかく判断力が早いですね。紹介でっていうけど、中国大使館と第一秘書の早坂茂三さん、その人の息子さんが「笑点」がお好きだということで、ずいぶん助けになったんです。
――やっぱり国民的番組「笑点」の力ですね!
K:その方が全部連絡してくださってね。
きっかけは横山やすしの「田中さんに相談したらええがな」
――田中角栄さんのところにそもそも行こうと思ったきっかけは何ですか?
K:横山やすしさんです。「ラーメン党大会」っていうのをやっていたんですが、毎年5月の「メンデー」 なんて洒落で言ってて。
――うまいなあ(笑)。真剣に「メーデー」を考えている方には申し訳ありませんけど(笑)。
K:当時、やすしさんと仲良くしていたんです。そしてテレビ局で会った時、やすしさんを全国ラーメン党の副会長にしているんで「中国でラーメン屋をやりたいんだけど、どうしたらいいかなあ。誰か知ってる?」って言ったら、「知らんがな!」「どうしたらいいでしょうかね?」「木久さん、俺が選挙に立候補した時(1992年・第16回参議院議員選挙)、選挙事務所にいっぱい電話があったんや。電話したらええやないかい。日中国交正常化をやらはった田中先生、大きい仕事しとる。田中さんに相談したらええがな」「知ってるの?」「知らんがな」「どうやって電話したらいいの?」「選挙事務所の番号を調べたらええやないかい」って。それから国会図書館まで行って調べました。
――師匠自ら行かれたんですか?
K:ええ。興味深かったですからね。国会図書館ってどういうところかなと。それで国会図書館で突き止めました。国会議員総覧っていう、こんな分厚い本があって、そこに昔の代議士から現代までの事務所が全部載ってるんですよ。これは電話帳には載ってないからね。
――では横山やすしさんの一言がなかったら、こうはならなかったんですね。
K:ぼくも思いつかなかったですから。田中さんの議員事務所が三カ所あって、で目白の事務所に電話をかければと思って。でも、半年かかったの。いつも「私の事務所は食品関係は扱っておりません」って断られる。
――半年も⁉ でもオッケーはなぜ突然出たんですか?
K:第一秘書の早坂茂三さんのご長男が野球が好きで、「笑点」もよく見ていて、「いつも太った司会者にいじめられている木久蔵さんっていう黄色い着物の人は、かわいそうなんだからお父さん、助けてやってくれ」って言われたそうです。
――それでさっきの話につながるワケですか! 「笑点」の司会者に感謝ですね(笑)。ある意味、早坂茂三さんのおかげでもありますね。早坂さんはのちに政治解説でもよくテレビに出られていましたね。
***
この記事の後編では引き続き、『木久扇の昭和芸能史』(草思社)より、林家木久扇が語る、2018年に亡くなった「桂歌丸」との思い出話や「芸談義を避けた理由」など、知られざるエピソードをお伝えする。