「中国でラーメン屋やりたい」に田中角栄が激怒… 林家木久扇の“昭和過ぎる”陳情エピソード

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「笑点」では黄色い着物がトレードマークの林家木久扇(初代林家木久蔵)は、「木久蔵ラーメン」などを営む実業家としても知られる。そんな木久扇はかつて、「中国でもラーメン屋を」という野望を抱き、田中角栄の元に赴いたという――。林家たけ平を相手に語られた驚きのエピソードとは。

 (前後編の前編)

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※この記事は『木久扇の昭和芸能史』(聞き手・林家たけ平、草思社)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。

林家木久扇の“ラーメン陳情”に田中角栄が激怒した理由

――師匠は田中角栄さんのモノマネをおやりになりますよね。

林家木久扇(以下K):「まあ物事はね、数字でしょ、数字! わたくしはね、日中国交正常化をやりとげました」(角栄さんの声色で)

――師匠の田中角栄は、モノマネの人よりも誰よりもうまいですね「新宿ブルース」を歌ったり、任俠映画にも出ていた扇ひろ子さん出演のショーの司会をやった時、「やっぱりね、昔の木久蔵さんのね、あの田中角栄はうまいわよ。わたし一回振り向いちゃったわよ」っておっしゃってました。テレビで国会中継かと思ったら、師匠がやってたんだそうです。師匠は実際に田中角栄さんにも会われたんですよね。

K:会いに行きましたからね。ほんとにね、大きな人でした。そしてすっごくいい人。昭和60年3月の朝9時15分頃に、ぼくが中国でラーメン屋をやりたいっていう話をしに部屋にいくと、まずテーブルがあってね、そこにとんがった鉛筆がピースの缶にささってて、鉛筆を一本抜いてメモ用紙を取り寄せて、どんな大事なことを言うのか、っていうふうにぼくを見るんです。

で、ぼくが「日中国交正常化を果たされたのは、田中先生でいらっしゃいます。わたくしは全国ラーメン党というのをやっていまして、ラーメンのロマンとして中国で店を開きたいと企てまして、中国の誰に交渉したらいいのか……。あの国はお国の体制が違って、共産主義でありまして、窓口がわかりません。どなたをお尋ねしたら中国でラーメン店を開けるのか、日中国交正常化を果たされた田中先生が、沢山の方をご存知でいらっしゃいますから、窓口を教えていただきたいです」と言ったら田中先生が、鉛筆をトントンと机にたたき、黙っちゃったんです。

――黙っちゃった?

K:あれ、どうしたんだろうと思ったら、「日中国交正常化……、日中国交正常化!! あれはね、私がやりました大きい仕事であります。あの頃はッ! 周恩来も元気で、毛沢東もおって、日中、国交、正常化! 中国にはね、ラーメン食べに行ったんじゃないの! 帰れっ!!」って、すごい剣幕です。ああ、怒っちゃったなと。どうしようかなと。普通の人が怒ってるんじゃないんです。

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