ドラフト1位で華々しく入団するも、早々にクビになる「高卒投手」は多い “野球賭博”で無期失格になった最悪のケースも

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 ソフトバンクの2021年ドラフト1位・風間球打が、わずか3年で戦力外通告を受け、来季は育成選手として再スタートすることになった。ノースアジア大明桜時代に最速157キロをマークし、ドラフトの目玉になった超高校級右腕だったが、背番号1を貰いながら早くも崖っぷちに……。活躍できなくても「最低5年は面倒を見てもらえる」とのイメージが強いドラ1だが、過去には「将来のエース」と期待されながら、早々と消えていった“金の卵”が何人も存在する。【久保田龍雄/ライター】

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ダルビッシュの説得で現役を続行するも

 ソフトバンクといえば、2017年のドラ1・吉住晴斗(鶴岡東)もその一人だ。

 清宮幸太郎(早稲田実→日本ハム)、安田尚憲(履正社→ロッテ)、馬場皐輔(仙台→阪神、現・巨人)の競合抽選に相次いで敗れた結果の“外れ外れ外れ1位”ながら、最速151キロの“隠し玉”右腕は、スケールの大きさが魅力だった。プロ入り後の目標に「最速160キロ」と色紙に書き、担当スカウトも「出ますよ」と太鼓判を押した。

 その身体能力に惚れ込んだ工藤公康監督も「いずれはホークスのエースになってほしい」と期待したが、3年間1軍登板のないまま、2020年オフに支配下選手契約を解除されてしまう。

 当初は引退を決意した吉住だったが、LINEを通じてダルビッシュ有から「もったいないじゃないか?」と説得されたことに心を揺さぶられ、引退撤回、育成選手として再スタートした。

 だが、心機一転フォームをサイドに変えて臨んだ4年目も2軍戦で登板3試合3イニング、被安打5、奪三振2、与四死球3の防御率3.00に終わり、2度目の戦力外通告を受けると、「今年で小学生から始めた野球を引退します」と現役に別れを告げた。

 ちなみに、吉住が1位指名された2017年、ソフトバンクは育成2位に周東佑京、同4位に大竹耕太郎(現・阪神)と大出世した選手が2人もおり、ドラ1と立場が大逆転。「ドラフトの本当の評価は5年後・10年後にわかる」という言葉も頷けるものがある。

ケガに泣いた高校生ドラ1

 2年連続でドラ1の高校生投手が花開かずに終わったのが、1990年代後半のヤクルトである。

 1996年の1位・伊藤彰(山梨学院大付)は高3夏の県予選で準々決勝から決勝まで3日連続完投した影響で左肩を痛めてしまう。

 故障を不安視し、獲得を見合わせる球団も出るなか、ヤクルトが単独1位指名。調布リトルシニアの先輩・荒木大輔の背番号11を受け継いだが、プロ入り後に肩と右足首の手術を受けるなど、4年間故障との闘いに明け暮れた。4年目の2000年はイースタンで22試合に登板も、0勝1敗、防御率9.96に終わり、1軍登板のないまま現役を引退した。

 翌1997年の1位・三上真司(敦賀気比)は、夏の甲子園で8強入り。川口知哉(平安→オリックス)の外れ1位で燕の一員になった“高校ナンバーワン右腕”は、2000年にイースタンで登板23試合、2勝3敗7セーブ、防御率2.21を記録。同年9月28日の巨人戦で9回2死からリリーフし、二岡智宏を4球で二ゴロに打ち取った。

 だが、これが最初で最後の1軍登板となる。翌01年はイースタンで防御率11.25と結果を出せず、伊藤同様、4年でユニホームを脱いだ。

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