監禁や虐待でいくつもの家族を隷属させた「尼崎事件」の悪夢…元高校球児はなぜ「角田美代子」の“暴力装置”となったのか

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「これはヤバいな」って思いました

 美代子が、服役中の正則の母親の面倒を見るよう正則夫妻に難癖をつけ、言い合いになった時の口上は、12年11月5日付の供述調書に綴られている。

〈「お前らただでおかんからの。お前どこの代紋やねん」「そんなん、へのカッパじゃ」と凄い剣幕で〉

〈「誰に電話して欲しいんや。古川か。うちが電話したら終わりやで」「後戻り出来へんで。ここらへんにおれると思うな。どうすんねや」と凄んできました。古川というのは、尼崎市内に事務所を構えている山口組系古川組の親分のことだとすぐにわかりました〉

 ほどなく懐柔された正則は、美代子ファミリーと共同生活を送るようになり、

〈「あんたゴン太してたな。調べさせて貰ったで」と言い、本当にあった私の色々なことを知っていて、ヤクザの名前は出てくるし、頭の中で「これはヤバいな」って思いました〉

〈そうすると美代子は「ウチに来る限り、ウチが全責任を持つ」と言い、その言葉に私は「オーええがな」と美代子に頼もしさを感じてしまったのでした〉

〈ヤクザのてっぺん2人も知ってるし、無敵やんけ。と思ってしまったのです〉(すべて11月5日付)

身内にも徹底されたアメとムチの手法

 ここで言う「ヤクザのてっぺん2人」については、翌13年9月27日付の供述調書に、

〈美代子の口から「ウチには五代目の『ナベ』や『宅ちゃん』がついている」「ウチが呼んだらいつでも来てくれる」等と言われ、私は怖くなり美代子に逆らえなくなり、美代子の言うとおりに従って行くようになりました〉

 とあり、いずれも五代目山口組の渡辺芳則組長と宅見勝若頭(当時故人)を指していると思われる。

 ターゲットに用いてきたアメとムチの手法は身内にも徹底され、恐れをなした正則はファミリーの「暴力装置」に転じていく。

〈何かヤバいことをする時は、美代子は角田の家族の中でも、私だけを呼ぶことがほとんどです。私は背中に入れ墨を入れていますし、体格も大きく、美代子はいつも私のことを相手に、この子はヤクザやと紹介していました〉(12年11月5日付)

 ***

 美代子の言葉を疑わず、従順な“暴力装置”となった正則。第2回【親族の男女に“行為”を強要、服を脱がせて“水攻め”に…尼崎事件の主犯・角田美代子がいくつもの家族を破滅に追い込んだ戦慄の手口】では、他人の家族を乗っ取った実際の手順や壮絶な虐待について伝える。

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