【特別読物】「救うこと、救われること」(4) 山折哲雄さん

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 京都在住の宗教学者・山折哲雄さんは、93歳の今も、「激しく考え優しく語る」を、実践しています。京都に暮らし、京都にあふれる旅人を眺め、千年を超えてなお変わらない日本文化の美意識と救いについて語ったのでした。

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 京都は紅葉の盛りを迎えており、世界中から観光客が訪れます。今年はNHKの大河ドラマのファンも多く、一層の賑わいを見せています。

 21世紀に入って、日本人の価値感は急激に変わりつつあるようです。ひとつには、経済が大きく落ち込んで経済大国から衰退したということがあるでしょう。ただ、本当に日本は衰退したのかというと、私には決してそうは思えないんですね。

 若者たちの表現に関心があって長年見ているのですが、大人気の『源氏物語』のドラマで、平安の姫君を演じる女優さんたちの目が見開かれていてまん丸ですよね。カメラも目の動きに注目して心理や葛藤を表現しています。これは以前はなかったことで、30年位前が境目だったと記憶していますが、そのころから「美しい」という言葉が消えていく。美醜で判断してはいけないという思想の反映です。その代わりに出てきた言葉が「かわいい」です。以来、「いい」も「美しい」も、みんな「かわいい」に乗っ取られていくようになりました。

「かわいい」と『源氏物語絵巻』

「かわいい」が出てくる背景には、ギャル文化や少女マンガの影響があると思いますが、これを遡っていくと、実は、『源氏物語絵巻』にたどり着くのではないかと、私は想像するようになりました。

『源氏物語絵巻』は国宝にも指定されている絵巻ですが、ここで描かれる表現が「引き目鉤鼻(かぎばな)」といわれる、一本の線で表現された目と、くの字で描かれた鼻です。最近の研究で、この絵巻は未熟な手も加わった共同作業であることが定説になっていますが、何故そのような表現が生まれたかについて、見事な考察をした研究書があります。

 武蔵野大学名誉教授の皆本二三江さんの『誰が源氏物語を描いたのか』(草思社)です。長年美術教育に携わってきた方で、少女マンガにも詳しいのですが、皆本さんは、『源氏物語絵巻』の「引き目鉤鼻」は平安時代の女房たちの共同作業の中から生まれた、美男美女の理想化された表現だというのです。さらに、現代の女性にお姫様を描かせると、丸い目もあるけど同じ線で描き、鼻もくの字で小さい、という共通する傾向があることもわかった。

 つまり、現代の女性が無意識に描いた絵に、『源氏物語絵巻』を描いた女房たちと同じ美意識を見ることが出来る。千年の時を超えて美意識が引き継がれているといってもいい。絵巻の「引き目鉤鼻」は「かわいい」にも通じていたのです。

 この美意識が日本の魅力のひとつであり、外国人を引きつけるのではないかと私は思います。筆でスーッと描かれた引き目の奥に、もしかすると「救い」の根源が隠されていたのではないか、ということができるかもしれません。

日本の仏像と「引き目鉤鼻」

 実は、驚かれるかもしれませんが、日本の仏像の目の表現にもこの「引き目鉤鼻」があらわれてくる。

 仏像はインドから中国、朝鮮を経て日本に伝わりますが、インドのガンダーラ仏は眼を見開いています。ギリシアの影響ですね。中国の敦煌、大同などの千仏洞も同じ。これが朝鮮、日本に来るとガラッと変わります。奈良時代の仏像はまだ目が開いていますが、平安時代になると途端に半眼になるのが多くなる。この半眼へと変化する時代が、ちょうど『源氏物語』と『源氏物語絵巻』が登場する10世紀前後なのです。仏像の目の表現と、日本の物語文学、絵巻の表現に連続性が現れたといってもいい。

 これは美と同時に救済の問題とも連関しています。半眼の特徴はとくに日本の涅槃像に深く関わっているからです。涅槃像は亡くなる直前のブッダの姿です。ブッダは涅槃で半眼になり、最後はお亡くなりになる。開眼は生きているブッダ、閉眼は亡くなられて過去に去ったブッダ、半眼はそのプロセスを生きて苦しんでおられるブッダと見ることが出来ます。日本にある涅槃像はほぼ半眼になっている。「引き目鉤鼻」の引き目を線眼とするならば、この4ステージは人生そのものを表し、人の心を静める鎮魂の役割を果たしているともいえますね。

京都という町に救われて

 冒頭で、私は、日本は衰退したとは思えない。といいましたが、それどころか、むしろ相対的に世界でも一番幸せな国ではないかと思うのです。戦争はない、治安は穏やか、物はある。食料、エネルギー、国土防衛など様々な問題はあるものの、危機には達していません。そんな国は世界でも日本だけはないか。だからこそ、日本の伝統文化に海外の旅人が救われているのではないか。

 私自身は、京都に住んで35年になりますが、梅原猛さん、河合隼雄さんに声をかけられてここに来たことで、生き返ったという思いがあります。梅原猛さん、河合隼雄さん、そして梅棹忠夫さんも居なくなった。とてもさびしいですね。1996年に梅原さん、河合雅雄さん、隼雄さんと丹後で宮沢賢治を語り、遊んだ日々が懐かしく思い出されます。

■提供:真如苑

山折哲雄
1931年サンフランシスコ生れ。宗教学者。近著に、『「ひとり」の哲学』、『「身軽」の哲学』、『激しく考え、やさしく語る』『ブッダに学ぶ老いと死』『わが忘れえぬ人びと』などがある。

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