円満ではなかった事務所退所、相方の不倫スキャンダル…お笑い界の「鼻つまみ者」が独立後に強い支持を受けるワケ

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コントが飛躍の原動力

 大手事務所に見放され、不倫トラブルを起こして火だるまの状態にあっても、コントの実力だけは認められていて、お笑い界では一目置かれていた。これが彼らのその後の飛躍の原動力となっていたのは間違いない。

 彼らは番組の企画で個人事務所の「ザ・森東」を設立した。その後、マネージャーとしてヤマネヒロマサが加わった。ヤマネは芸人やミュージシャンとして活動していた経験もあり、お笑いと音楽の世界に精通していた。そんな彼がマネジメント業務を担当するようになったことで、さらば青春の光の2人は本業に集中できるようになった。

 彼らのキャリアの中で1つの大きなターニングポイントになったのは、「キングオブコント」を卒業する決断をしたことだろう。コントの大会である「キングオブコント」は、コントを専門にする芸人ならば誰もが憧れる夢の舞台である。若手芸人の間では、優勝するまで大会にエントリーし続けることが当たり前になっている。

 しかし、さらば青春の光の2人は「キングオブコント」でいつまでも戦い続けることに疑問を感じ始めた。この大会で勝つためには、1年かけてネタを作り、ライブで何度もネタを試してそれを磨き上げていく必要がある。

 それだけの労力を費やして大会に臨んでも、優勝できるのは数千組のうちのたった1組だ。いつまでもここにこだわり続けるのは得策ではないのではないかと考えて、2018年大会を最後に「卒業」を宣言した。

 その後、彼らはYouTubeなどを中心に幅広いジャンルの活動を展開していった。YouTubeのメインチャンネルでは、バラエティ番組のようにしっかり作り込まれたお笑い動画を発信してたびたびバズっている。注目を集めているニュースがあれば、いち早くそれをネタにして話題をさらったりもする。

 さらに、これだけではなく複数のYouTubeチャンネルを運営している。彼らは、自分たちの事務所を公開したり、活動の舞台裏を積極的に発信したりして、「さらば青春の光」というプロジェクト全体を包み隠さず見せて、そこに親しみを感じてもらおうとしている。そうすることで彼らは多数のファンを獲得して、唯一無二のポジションを確立した。

 お笑い界の鼻つまみ者だったさらば青春の光は、いまや時代の最先端を行くお笑いクリエイター集団となった。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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