“職場放棄”で「戦力外通告」から復活のケースも 現役引退を撤回し、さらに飛躍した“名選手”たち

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引退セレモニーまでした後に現役続行を決意

 一度は現役引退を発表し、引退セレモニーまで行われたのに、一転現役続行を決意し、入団テストを経て、新天地に移ったのが、川相昌弘である。

 巨人時代の2003年8月20日の広島戦で、エディ・コリンズの記録を76年ぶりに更新する、通算521犠打の世界記録を達成した川相は、この金字塔を手土産に21年間の現役生活に終止符を打ち、翌年から1軍守備走塁コーチになるはずだった。

 引退試合となった9月14日のヤクルト戦では、5回の3打席目に中前安打を放ち、“有終の美”を飾ったいぶし銀の職人は、試合後に行われた引退セレモニーで場内を1周、スタンドのファンに何度も頭を下げた。

 ところが、同26日、コーチに指名してくれた原辰徳監督が突然辞任を表明したことをきっかけに、運命が大きく変わる。

 堀内恒夫監督の新体制では、ポストも2軍コーチに変わっており、一連の騒動の中で自分自身を見つめ直した川相が悩んだ末に出した結論は「自由契約になって他球団で現役を続ける」だった。

 その後、中日・落合博満監督から「ああいう選手がいれば助かる」とラブコールを送られた川相は、秋季キャンプでテストを受け、合格。2006年まで現役を続け、2度のリーグ優勝に貢献するとともに、通算犠打数も「533」まで伸ばした。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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