立川談志が前座の弟子に“名刺を作らせなかった”納得の理由 その代わり「名刺を頂いたら後で……」

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「名刺はもつな」

 落語家の立川談志(享年75)が亡くなったのは2011年11月21日だった。多くの弟子を残した談志だが、その下で前座生活16年半、破門3回という経歴を持つ真打・立川キウイ(57)の著書『談志のはなし』(新潮新書)には、弟子の中でも最も長い時間を一緒に過ごしただけに、貴重な談志の発言が収められている。(全2回の第2回)

「名刺は持つな」

 キウイがまだ前座の時、いきなり談志からそう言われたという。

 落語家は入門すると前座、二つ目、真打と昇進していくが、羽織を着て落語家として活動できるのは二つ目に昇進してから。それまでは師匠の身の回りの世話など、前座としてあらゆる雑用をこなさないといけない。前座の身分で名刺をもつなんてもってのほか――キウイはそう解釈したが、談志はこう言ったという。

〈「政治家はな、見栄も外聞もなく選挙カーで名前を叫んで、アチコチに遊説してお願いしてまわってるんだ。見ず知らずの人から自分には関係ないことで罵声を浴びもすれば、挨拶しても握手を求めてもスッと横向いて行っちゃう場合だってある。実に気分の悪いものだ。それでも笑顔で“よろしくお願いします”と頭を下げる。しかし相手は何とも思っちゃいない。だけどそれを続けてるんだ。名前をおぼえてもらうというのはそういうことだ」〉(前掲書より)

 参議院議員の経験もある談志だけに、なかなか説得力があるが、本題はここから。

〈「お前は前座というのもあるが、名刺を頂いたら後で葉書で返せ。その方が通りいっぺんの儀式にならず誠意が伝わり、お前の名前が少しは印象に残る。何か言われたら、俺からそうしろと言われたと言え」〉(同)

 この教えを守り、キウイは真打になった今も名刺は持たず、作ったこともないという。

 挨拶をするツールとして、メールやLINEが主流になっている現代。だが、この人とは特に関係を深めたい、自分のことを知ってもらいたい――そう思った時は、直筆で出す手紙が一番、効力があることは、いつの時代になっても変わらないだろう。

 実際、談志は筆まめで、知人やお世話になった人へ、たとえ短い挨拶でも葉書にしたため、すぐに送っていたという。

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