「斎藤元彦氏」再選のウラ側を徹底検証 「ネットが正義、テレビが悪です」が人々を動かした背景とは
「おねだり」批判への嫌悪感
実際、日頃からマスコミにミスリードが混じるのは事実で、その場で即座に「でっち上げ」と切り捨てることは難しい。
虚実ない交ぜの発信に長けた政治家としては、2016年に築地市場の豊洲移転阻止をネタに「都議会のドン」こと元都議会議長の内田茂氏を槍玉に挙げた都知事の小池百合子氏を挙げることができる。小池氏はワイドショーを味方にしたが、立花氏はワイドショーもひっくるめた既存メディアを向こうに回し、そのうえ大逆転勝利を勝ち取った。
8年の間に人々の生活に深く潜り込んだSNSの手触りを確かめつつ、いかにインパクトを残すか。トライアンドエラーを繰り返したであろうその挙句、ついに既存メディアを完全にバイパスし、人々の前に「正義の味方」として出現する方法を確立した立花氏を「SNSの道化」とでも呼んだらよいのだろうか。
立花氏にとって齋藤氏の政策はどうでもよく、既存メディアの発信を覆すこと自体に獲得目標があるように見える。
ただ、この発信が受け入れられる素地を作ったのは、メディア自身ではなかろうかと私は思う。
なにしろ夏頃までワイドショーは、斎藤問題一色かつ一方的な「おねだり」批判に終始し、私には「やり過ぎ」と感じられた。地場の産物のよさを知っておくのは首長の仕事の一部ですらあり、報道されるほど論点は返ってぼやけた。
東京の私ですらそうなのに、兵庫県民はより耐え難い嫌悪感を抱いたはずだ。
ネット動画に押され視聴率の奴隷になったワイドショーは、報道の質と量において、節度を欠いてはいなかったか。物価高にじわじわと家計を圧迫される苦しさを抱える人々の生活感から、斎藤批判に狂乱するメディア報道は遊離していたのだ。
結論を急いだ県議会の保身
同様に、メディアの過熱を背に踊った県議会も拙速だった。告発文の中身や事実関係を精査する第三者委員会の調査結果が出る前に百条委員会が設置されたのが6月。百条委の結論も出さずに不信任案を出したのが9月。
本来なら、告発者への不利益処分が公益通報者保護法に反するのかどうか、反対の見解も含めて議論を深めることが最優先事項だ。
結論を急いだのは、年末の予算査定や年明けの予算議会を大過なく済ませたい、という自民党や維新の側の保身が働いたからではないか。
知事と議会の間に緊張が生じれば、知事原案に賛成できなくなり、やがて議会は紛糾する。「こじれるまで手をこまねいていたのか」という批判が議会に及びかねないと浮き足立って、結論を急いだのではないのか。
人権問題に触れるような論点は粛々と議論する、結論が出ればその結論に基づき行動するが、予算は優先して審議する。毅然とした態度で共通理解を確立しておけば、大騒動を回避できたのではないのか。実際、斎藤知事に不信任決議を突きつけた後でさえ、9月末には補正予算も成立させてもいるのだ。メディアや議会のありように、有権者の心は離れていったのである。
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