「とんねるず」はなぜ、歌手としても評価されるのか 始まりは冗談で出した「一気!」だった

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作り込まれた楽曲

 この分類で言うと、とんねるずの音楽活動は、2つ目と3つ目の混合で成り立っている。彼らが実質的な歌手デビューを果たしたのは、1984年にシングル「一気!」をリリースしたときである。当時の彼らは今で言うEXITや宮下草薙のような、血気盛んな若手芸人だった。素人の女子大生を起用した伝説の深夜番組「オールナイトフジ」(フジテレビ系)に出演していたとんねるずは、自分たちが高卒であることをネタにして、女子大生たちを相手に嫉妬混じりの怒りをぶつけて暴れていた。

 そんなとんねるずが勢いに任せてリリースした「一気!」は、彼らも想像していなかったようなヒット曲となり、この曲を引っさげて当時の人気番組「ザ・ベストテン」(TBS系)にも出演を果たした。ここからとんねるずの華々しい音楽活動がスタートした。

 1985年にリリースされたムード歌謡テイストの「雨の西麻布」はオリコン5位の大ヒットとなり、とんねるずは人気歌手の仲間入りを果たした。その後、彼らはさまざまなタイプの楽曲をリリースするようになった。

「ガラガラヘビがやってくる」「がじゃいも」などの子供向け楽曲から、「情けねえ」「一番偉い人へ」などの社会派メッセージソングまで、とんねるずは幅広いジャンルの楽曲を巧みに歌いこなし、歌手としても大成功を収めた。

 とんねるずの楽曲に共通しているのは、悪ふざけと真面目さが奇妙に同居しているところだ。楽曲のコンセプトや歌詞の一部がふざけていることもあるし、音楽番組に出るときの彼らは必ずと言っていいほどコミカルなパフォーマンスに終始していた。

 だが、曲自体は見事に作り込まれていた。いまやアイドルプロデューサーとして時代の寵児となった秋元康の作詞がとんねるずの音楽活動の方向付けに大きな影響を与えている。

 また、何よりも歌手としての2人のポテンシャルが高い。長身でスタイルのいい2人は、真面目に歌ってもふざけても絵になる格好良さがある。木梨は器用で歌唱力が高い。石橋は歌の上手さでは木梨にやや劣るものの、派手な動きや表情で観客を惹きつける天性のパフォーマー資質がある。

 それぞれが強い個性を持ちながら、歌手として並んで同じ曲を歌うときには見事な調和を見せる。音楽活動をこれほど高いクオリティでこなせるお笑いコンビは後にも先にもいない。

 とんねるずの音楽は、企画物であると同時に本格的でもあるような、ほかに比べようがない独特のものだった。彼らにとっては初めからふざけることと真剣にやることが表裏一体だったのだ。

 武道館ライブ後に石橋のYouTubeチャンネルで公開された動画によると、石橋は今回のライブを、ファンがとんねるずの音楽から卒業するための「とんねるずの卒業式」だと考えていたのだという。しかし、2日間のライブを経て、「そんなふうに考える必要はまだないのかな」と思うようになったとも語っていた。

 武道館ライブは歌手としてのとんねるずの終わりなのか、新たな始まりなのか。日本中のファンが彼らの今後の動きを見守っている。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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