周東だけじゃない「伝説の神走塁」 過去には「二塁から犠牲フライで生還」という“異次元の走り”も
今年の日本シリーズ第1戦では、ソフトバンク・周東佑京が、今宮健太の右越え二塁打で一塁からホームインした際、二塁走者・川村友斗を追い抜かんばかりのスーパー快速ぶりが話題になった。過去にも何度かあったファンの記憶に残る“神走塁”を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
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クロマティの欠点を突いた奇襲作戦
周東と同じ日本シリーズでの神走塁といえば、1987年に西武・辻発彦が見せた“伝説の走塁”もよく知られている。
3勝2敗と日本一に王手をかけた巨人との第6戦、1点リードの8回2死から三遊間安打で出塁した辻は、次打者・秋山幸二が中前安打を放つと、ヒットエンドランのサインが出ていなかったにもかかわらず、打球が左中間寄りで、センター・クロマティが左投げだったことから、「100パーセント行ける」と判断し、二塁を回って三塁へ。
さらに伊原春樹三塁コーチがグルグル手を回しているのを見ると、そのままスピードを緩めることなく本塁に突っ込み、貴重な追加点をもたらした。
シーズン中の巨人のビデオを繰り返し見て研究していた伊原コーチは、クロマティが勝手に状況を判断し、緩慢な送球をする欠点をここぞという大事な場面で利用しようと考えていた。
「(緩慢プレーは)第5戦でも一度あったが、この日のために自重した。こんな場面が必ずもう一度あると信じていた。一か八だった」。
そして、この奇襲作戦は見事成功する。クロマティの緩慢な返球に加え、巨人内野陣も「一、三塁は仕方がない」と判断し、打者走者・秋山の二進けん制に意識を集中させていたため、完全に虚をつかれた形になった。
この1点が巨人に決定的なダメージを与え、西武は2年連続日本一を達成。まさに日本一を決めた走塁だった。
まさかの二塁から犠牲フライ生還
神走塁といえば、“世界の盗塁王”福本豊(阪急)もエピソードに事欠かない。
1976年6月20日の南海戦ダブルヘッダーでは、2試合続けて初回に四球、二盗、バントで三進したあと、3番・加藤秀司の一邪飛と二塁後方のフライで、いずれも自らの足で先取点を挙げている。南海の監督兼捕手・野村克也は、“好敵手”福本の足を封じるべく、クイックモーションを考案したり、走塁しにくいよう塁間の土を柔らかくするなど、あの手この手を駆使したが、この試合でも煮え湯をのまされることになった。
二塁から犠牲フライで生還という驚異の快速を見せたのが、1980年4月17日の西武戦だった。
2対1の7回1死、右前安打で出塁した福本はすかさず二盗。次打者・簑田浩二が大きな中飛を打ち上げると、中継のショート・行沢久隆がもたつく間に三塁を回り、捕手・吉本博のタッチをかいくぐるようにして左手でベースタッチ。久保山和夫球審はセーフと判定した。
だが、微妙なタイミングだったことから、西武・根本陸夫監督が「(ジャッジが)メチャクチャ過ぎる。ブロックしとるんやからな。こっちも一生懸命やっとるんだから、ちゃんと見てくれなきゃ」と猛抗議。試合は23分中断したが、判定は覆らず、生還が認められた。
思いがけず犠飛で打点がついた簑田は「こんなことあるんですか」と目を白黒させたが、福本は「数年前にも経験ある」とケロリとしていた。
さらに同年8月4日のロッテ戦、6回に遊撃内野安打で出塁した福本は、簑田のエンドランの遊ゴロで二進したあと、島谷金二の右中間へのあわや本塁打という大飛球をセンター・弘田澄男が捕球後に勢い余ってフェンスにもたれかかった隙を見逃さず、二塁から一気に生還。同一シーズンで2度にわたって“異次元の走り”を見せた。
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