「情けねえ」「雨の西麻布」「一気!」…「とんねるず」が日本武道館で見せつけた“音楽活動”の圧倒的功績

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歌手としてのとんねるず

 1980年代から、破竹の勢いでテレビ界を席巻していたとんねるずは、お笑いだけでなく、歌手としても大成功を収めた数少ないコンビでもある。81年にコンビ名を「貴明&憲武」から「とんねるず」へと改名すると、アニメ「新・ど根性ガエル」(日本テレビ)の主題歌にいきなり抜擢され、シングル「ピョン吉・ロックンロール」で歌手デビューを果たした。84年にはシングル「一気!」でメジャーデビューを果たす。令和のご時世では完全な“アルハラ”にあたる歌詞だが、「一気! 一気!」というサビに合わせ、酒をあおるように飲む「一気飲み」が宴会の定番になるほどの影響力だった。

「歌手活動では96年までにシングル21枚、アルバム12枚を発売しています。一時はコンスタントにツアー公演もこなしていました。とんねるずとしては、91年に『情けねえ』で紅白歌合戦に初出場。96年のシングル『おまえが欲しい』を最後に、コンビとしての歌手活動は休止状態になりました。しかし同年、木梨さんは演歌歌手の山本譲二さん(74)との演歌デュオ『憲三郎&ジョージ山本』を結成。山本さんの師匠・北島三郎さん(原譲二名義)作詞作曲による『浪漫-ROMAN-』が売上20万枚超のヒット曲となり、同年の紅白出場を果たしています」(音楽業界関係者)

 石橋は97年に歌手の工藤静香(54)とのデュオ・Little Kissを結成。ジュエリーブランドのCMに起用された「A.S.A.P.」は売り上げ50万枚のヒット曲となったが、紅白出場はならなかった。特筆すべきは、98年に「みなおか」内で番組スタッフと結成した「野猿」だろう。01年までの活動期間中にデビュー曲「Get down」などシングル11枚、のアルバム3枚をリリースし、全ての作品が「オリコンチャート」のトップ10入りを果たす人気ぶりで、99年と2000年に2年連続で紅白に出場している。さらにその後、綾小路翔扮するDJ OZMAとのユニット、「矢島美容室」を08年に結成。シングルだけにとどまらず、映画まで公開された。

 他にも、木梨がチェッカーズの「ONE NIGHIT CIGOLO」の出だしで「Kill You」と唄ったところでスリッパで引っ叩かれる。荻野明洋子の「ダンシング・ヒーロー」のイントロで、本人を入れて3人で踊る。石橋が渋谷哲平の「Deep」で踊りまくる――などなど、とんねるずと、歌やアーティストにまつわるネタはたくさんあるだけに、この日のライブで「誰かサプライズ出演があるのでは」と期待が高まったのだが、何もなし。特にファンはもちろん、招待された業界関係者の多くは、「野猿」メンバーのサプライズ出演はあるのではないかと期待していたようだが、

「野猿はアクリル装飾、大道具、運転手といった番組スタッフに、とんねるずの2人を加えた11人で結成し、大ブームを起こしました。しかし、01年にメンバーたちの本業への専念と人事異動から、“撤収”という名で解散しました。この時、女子高生2人組が自殺してしまうニュースが世間を騒がせました。亡くなった2人のうちの1人が生前、友人に『野猿が解散するなら自殺する』と話していたことが分かったのです。2人は野猿の解散コンサートを見るため福岡県から上京。ライブ終わりに都内のマンションから身を投げました。

 後に、野猿が直接の原因でないことが判明していましたが、こうした痛ましい事件もあったため、短期間ですが音楽史に輝かしい功績を残したにもかかわらず、解散後、なかなかその存在がクローズアップされることはありませんでした」(当時芸能担当だった元スポーツ紙記者)

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