陸上100mでアジア人初「9秒台」を“表示”した「伊東浩司」 指導者として花開いた第二の人生(小林信也)

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数字が止まって見えた

 バルセロナの失意から6年後の98年。バンコク・アジア大会で伊東は日本中をアッと驚かせる走りを見せた。

 陸上男子100メートル準決勝、スタートから軽やかに飛び出した伊東は、滑るように足を運び、しかも、小刻みというよりのびやかなストライドで他を引き離すと大きなリードを奪ってゴールした。電光掲示板には9が三つ並んだ。

「速報タイム、9秒99」

 アナウンサーが叫んだ。日本人、いやアジア人が初めて計時した9秒台の快挙。その後発表された正式タイムは残念ながら「10秒0」。9秒台は幻に終わったが、にわかに10秒の壁を破る期待が高まった。

「あの時は走りながらゴール横の掲示板の数字がはっきり見えました。8秒、9秒、数字が止まって見えたのはあの時だけでした」

 一躍「時の人」になった伊東の環境は一変した。常に注目を浴び、NHK紅白歌合戦にもゲスト出演した。

 そうした周囲の騒ぎに動じず、自分のペースを守る耐性が当時の伊東にはなかった。知らず知らず期待の重さにリズムを崩し、バンコクの走りは戻らなかった。アトランタに続き、シドニー五輪にも出場。リレーで入賞を果たしたが、個人では決勝進出の夢をかなえられず、シドニーの翌年(2001年)、31歳で現役を退いた。

メイクの時間

 その伊東が再び一目置かれる存在になっている。引退後すぐ赴任した甲南大学で女子陸上部はいま短距離界で無類の強さを誇っている。

 今年9月の日本インカレで女子400メートルリレーに優勝、2連覇を果たした。女子100メートルでは昨年表彰台を独占、今年は2位、3位を占めた。甲南大に有望選手が集まるのは、伊東の存在と主体性を重んじる自由な空気のためだという。

「今日も選手が『起床は5時にします』と言うから、任せました」、新国立競技場でのレース後、伊東はため息まじりに言った。「私はもっとゆっくり眠ればいいのに、と思いましたが」。

 言いたいこともあるが、ほとんど飲み込んでいる。11時のレースに向けて朝5時に起きる。その理由は、「メイクの時間を取るため」。

 伊東は苦笑した。彼女たちにとって、速く走ることと美の追求は一体なのだ。

「自分の子が同世代になって、ようやく実感的に理解できるようになりました」

 97年世界陸上女子マラソンで優勝した鈴木博美との間に2人の子がいる。

「大学生と高校生。親として直面している子育ての難しさと選手を思いやる気持ちが重なって、選手を尊重する指導が自然とできるようになりました」

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年11月14日号掲載

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