3年連続最下位には理由があった… 立浪監督が星野監督から「学ぶべきだったポイント」
「お友達内閣」で勝てるほどプロは甘くない
翻って立浪監督である。彼は監督在任期間の3年間、落合英二、片岡篤史という同級生をヘッドコーチに据えた。私に言わせれば、これが間違いのもとだった。
星野さんや川上さんを見ていけばわかる話だが、友達や仲間を首脳陣に据えると、本音が言えなくなる。勝っているときはいいが、負けが込んできたとき、チームの命運を左右するような状況に陥ったときなどには、星野さんにおける島野さんのような、直言してくれる人でないとヘッドコーチは務まらない。
この点に対する考え方が、立浪監督は間違っていた。これが仕事だけのつながりの人間関係であれば、はっきりとしたもの言いができる。このケースの場合、2人をつなげているのは友情ではなく、「ビジネスパートナー」であることだ。私の周りでもいたのだが、「仲がいいから」という理由で、友達同士で事業を起こし、数年後にトラブルになって会社は倒産、友人関係も解消されたというケースだ。
この場合、会社の経営がうまくいっているうちはまだいい。問題は、うまくいかなくなったときである。たとえばAが社長、Bがサポートする役回りをしていた場合、Aの意見よりもBの意見が正しい場合であっても、強く言えないがために、間違った方向に進んでしまい、結果的ににっちもさっちもいかなくなった、なんてことは往々にしてよく聞く話だ。
つまり、立浪監督と落合、片岡の場合も同じことが言える。「同級生だから何でもわかり合える」という理由で監督とヘッドコーチになってしまうと、監督が間違っているときでも強く言えない、あるいは意見が交錯し、人間関係までこじれてしまうということはある。
「はっきりとモノが言えない」という状況に
実際、2022年から23年まで一軍ヘッドコーチ(投手コーチ兼任)を務めていた落合は、2024年シーズンから二軍の投手兼育成コーチに代わり、一軍のヘッドコーチを片岡が務めた。だが、思うように結果が出ないまま、結局は立浪監督とともに退任することになった。片岡は金本知憲が阪神の一軍監督になった際の打撃コーチだったが、やはり思うような成果を残せなかった。
一部の心ないファンからは、
「指導者としては問題があるんじゃないのか」
という声も聞こえてきたが、私が知る限りの片岡という人間は、人に気を使えるし、自分より年下の人に対して横柄な態度をとるなんてこともない。男気があって、なかなか見どころのある人物だと思っている。
ただ、あえていえば性格的に優しすぎる。これは実生活では長所になるのだが、こと勝敗のつく野球界の指導者としては、「甘い」と見られてしまうのかもしれない。それが立浪監督との間でも、「はっきりとモノが言えない」という状況に陥ってしまったとも考えられる。
これが星野さんや川上さんの場合だと、島野さんや牧野さんとは明確に一線を画していた。もちろんプライベートではあまりつながりがないからといって、邪険にするようなところは一切ない。
むしろ、もともとのつながりがないからこそ、いい意味での緊張感のある人間関係が築けていたに違いない。友達ではない人を右腕となるヘッドコーチに選んだ星野さんと川上さん、友達をヘッドコーチに選んだ立浪監督との違いはこのあたりにも浮き彫りになっているが、結果はどちらが正しかったのか。それは日の目を見るより明らかである。
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この記事の前編では、同じく『ミスタードラゴンズの失敗』(扶桑社)より、同じく就任3年目でチームをパ・リーグ2位に押し上げた、日ハム・新庄監督と立浪監督との「明暗を分けたポイント」について取り上げている。