「新庄監督」にあって「立浪監督」に無かったもの 郡司裕也の起用法が浮き彫りに

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 就任から3年で中日ドラゴンズの監督を退くことになった立浪和義氏。会見で本人も話していた通り、「3年連続最下位」というチーム成績低迷の責任を取っての退任だった。そんな立浪氏と、何かにつけて比較されがちなのが、同じく就任3年目の日本ハム・新庄剛志監督。こちらも1、2年目は最下位に沈んだものの、今シーズンは2位と大躍進。元プロ野球選手で野球解説者の江本孟紀氏は2人の監督の明暗を分けたのには「2つの理由」があるという――。

(前後編の前編)

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※この記事は、『ミスタードラゴンズの失敗』(江本孟紀著、扶桑社新書)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。

郡司を活躍させることができた新庄監督

 立浪監督と同じ時期に監督に就任したのが北海道日本ハムの新庄剛志監督。両者は指導力、采配面ともに大きな差が浮き彫りになってしまった。

 日本ハムも2022年、23年シーズンは中日と同様、2年連続最下位を喫した。一転して2024年シーズンはそれまでの2年間の成績を払拭するように、パ・リーグで2位と大躍進を遂げた。

 新庄監督の采配で注目したいのが、「若くて実績のない選手を抜擢し続けたこと」である。チームの中心打者として君臨している万波中正(2018年ドラフト4位)を筆頭に、入団6年目の捕手の田宮裕涼(同年ドラフト6位)、上川畑大悟(2021年ドラフト9位)、水野達稀(同年ドラフト3位)と、枚挙に暇がないほど多くの若手選手が、グラウンドで躍動している。

 こうしたなか、注目すべきは、おもにサードを守る郡司裕也である。彼は慶応義塾大を経て、2019年ドラフト4位で中日に入団。中日時代は捕手として期待されていたが、思うような成長の跡が見られず、2023年6月19日にトレードで日本ハムに移籍してきた。6月30日に一軍に昇格すると、いきなりこの日のオリックス戦で「2番・DH」で起用され、7月2日にはプロ入り初となる猛打賞を記録。さらに2日後のソフトバンク戦では、和田毅からプロ入り初本塁打を放った。結局、この年は自身最多となる55試合に出場し、打率2割5分4厘、3本塁打、19打点という数字を残した。

「郡司は移籍したから活躍することができた」
「中日にいたら、今ごろまだ二軍暮らしが続いていたかもしれない」

 そんな揶揄をされていたものだが、郡司を活躍させたことで、立浪監督と新庄監督の違いが如実に表れた。立浪監督は「捕手として郡司として通用するかどうか」を見ていたが、新庄監督は「郡司は捕手以外のポジションで活躍できるのか」という視点で判断していた。

 実際、2024年シーズンは春季キャンプから郡司をサードで起用した。期待していた清宮幸太郎が自主トレ中の負傷でサードができなくなったことから、郡司自ら挑戦を熱望していたのがその理由だが、新庄監督は彼のアピールを否定することなく、「サードをやってみようか」と提案した。

 その結果、春季キャンプ、さらにはオープン戦でも結果を出し、開幕5戦目のソフトバンク戦で第1号の本塁打を放つと、その後はレギュラーの座を射止めた。彼がブレイクした一方でこんなことを考える。もし郡司が中日にいたままだったらどうなっていただろうか。一つ言えるのは、立浪監督にサードで起用するという発想はなかった―。これは断言できる。

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