「新庄剛志」異例の48歳受験には“思惑”も… プライドを捨てて「トライアウト」にかけた名選手列伝
11月14日に12球団合同トライアウトが開催された。「形骸化の一途で一定の役割は終わった」として今年限りでの廃止も検討されているが、過去には、新人王や最多セーブなど輝かしい実績がありながら、トライアウトを受けた男たちもいた。【久保田龍雄/ライター】
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現役続行を望み挑んだテストだったが…
ロッテ・吉井理人監督もその一人だ。近鉄時代の1988年に最多セーブ、ヤクルト時代に3年連続二桁勝利を記録し、メジャーで5年間プレーした右腕も、オリックス時代の2004年は登板3試合、0勝1敗、防御率17.18に終わり、10月6日に戦力外通告を受けた。
すでに39歳になっていたが、現役続行を望み、11月9日のトライアウトを受験。シート打撃で3連続三振を奪い、最速140キロをマークした。各球団の申し合わせで、翌年から新規参入する楽天に優先権が与えられていたため、「楽天は僕がいた近鉄とオリックスの伝統を引き継ぐチームだからね」と朗報を期待したが、希望は叶わなかった。
その後、近鉄時代の恩師・仰木彬監督が合併オリックスの新監督に就任したことから、翌春のキャンプでテストを受け、再入団が決まった。
西武時代の1998年に新人王を獲得した小関竜也も、巨人移籍2年目の2007年は若手の台頭に出番を奪われ、出場わずか5試合で自由契約。「やれると思っている以上、現役にこだわっていく」とトライアウトに挑んだ。
そして、実戦形式のシート打撃で、いずれも完璧な当たりの2本塁打を放ってアピール。横浜への移籍が決まる。
だが、翌08年は出場49試合の打率.215、1本塁打、3打点と結果を残せず、たった1年で戦力外に。翌春のロッキーズのトライアウトも不合格になり、現役引退した。
なかなか厳しいトライアウトの世界
ロッテ時代に“幕張の防波堤”の異名をとり、2005年の最多セーブを含む7年連続20セーブを達成した小林雅英は、メジャーを経て、10年に中継ぎ要員として巨人に迎えられたが、登板12試合の防御率5.14と振るわず、1年で戦力外に。
「まだ自分の体には野球を続けられる条件が残っていると思う」とトライアウトを受験。最速145キロをマークし、前西武の松坂健太(その後、日本ハムに移籍)をスプリットで三振に打ち取るなど、打者5人を無安打に抑えた投球内容がオリックスに評価され、移籍が決まる。
だが、翌11年は自己ワーストの登板6試合の防御率13.50に終わり、体力的にはまだ現役を続けられる自信があったが、1軍のクローザーとしての役割を求められなくなったことで踏ん切りをつけ、同年限りで現役を引退した。
西武時代に2018年に最多勝(16勝)のタイトルを手にした多和田真三郎は自律神経失調症による不整脈で体調を崩し、21年オフに戦力外通告を受けて退団。直後に参加したトライアウトで最速146キロを計測も、獲得球団はなかった。
その後もNPB復帰を目指して社会人軟式の六花亭でプレーを続け、昨年、2年ぶりにトライアウトに挑戦。「球がどうこうっていうよりは、元気な姿を見せられたことが一番良かった」と充実した表情を見せたが、朗報は届かなかった。
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