「池田大作」氏との面会で「氷川きよし君は涙ぐみ、滝沢秀明君は激励を受け…」 元創価学会員「長井秀和」が語った、没後1年「池田名誉会長」に寵愛された芸能人たち

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 創価学会の池田大作名誉会長が95歳で亡くなったのは、2023年11月15日。昨日で1年が経ったことになる。

 池田氏は1928年、現在の東京都大田区に生まれた。19歳の時に創価学会に入信、組織活動で頭角を表し、1960年には第3代会長に就任した。64年には公明党を設立し、政界に進出。会長就任時、140万だった会員の公称世帯数は現在827万と実に6倍超となり、公明党も政権与党となって四半世紀を迎えた。

 かように組織を拡大、発展させた池田氏は、戦後を代表するオルガナイザーの1人とも評価されている。その成功の要因として、本人の持つカリスマ性や人身掌握術、アジテーターとしての能力などが挙げられてきたが、忘れてはならないのが入信した著名芸能人たちの、布教、集票活動に与えた影響力だ。彼ら、彼女らは学会内組織「芸術部」に所属し、ある者は信仰を世間に明らかにした上で、信者獲得や公明党の選挙応援に邁進した。あるいは、信仰を外部に公言することはないものの、組織内でその“ご利益”を宣伝し、教団や池田氏の求心力を高めることに大きな役割を果たしてきた者もいる。いずれの意味においても、信者芸能人たちが果たしてきた役割が、教団の発展と池田氏の権力強化に大きな役割を果たしてきたのは間違いない。

 芸能人たちはなぜ、そして、どのように池田氏に惹かれていったのか。お笑いタレントの長井秀和氏は、もともと創価学会の信者で芸能界でも活躍し、「芸術部」の活動を間近で見てきた過去がある。現在は教団を離れ、西東京市の市議会議員を務めているが、昨年、池田氏死去を機に「週刊新潮」の取材に応じ、芸能人と池田氏の関係を詳らかに語っている。インタビューを再録し、改めて教団内において芸能人が果たしてきた役割と、その影響力について振り返ってみよう。

(「週刊新潮」2023年11月30日号記事を再編集しました。文中の年齢、年代、肩書等は当時のものです)

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「芸人としてブレイクした頃、氷川きよし君やタッキーこと滝沢秀明君と三人で、池田先生に面会しました」

 とは、「間違いないっ!」のギャグでブレイクしたお笑いタレントで、西東京市議を務める長井秀和氏(53)。両親共に学会員の家庭に生まれ、自身も学会の系列校・創価学園の小中高を経て創価大学まで通ったエリート信者だったが、2012年に学会を脱会した。

「05年1月、八王子にある東京牧口記念会館で開かれた本部幹部会で、集まった千人ほどの学会員の前で池田先生から激励を受ける機会がありました。タッキーはNHK大河ドラマ『義経』の主演に抜てきされた頃でしたから、歴史モノ好きの池田先生は壇上でうれしそうにしていました。タッキーといえば、あのジャニーさんにも気に入られて、それに池田大作でしょ。クセの強い昭和のフィクサーたちから寵愛を受けていて、すごいなと思いましたよ」

“なんでメモを取っているんですか”

 会場で隣に座った氷川からは叱られてしまった際の逸話を、長井氏が続けて話す。

「幹部会ではメモを取るのは禁止されていましたが、出席者は後日、幹部会に出られなかった人のために、池田先生がどんな話をしていたかなどを報告しないといけない決まり。それでこっそり話の内容を記録しようと紙にペンを走らせていたところ、氷川君にニラまれて“なんでメモを取っているんですか”とたしなめられたんです。とっさに私は“晩ごはんの献立を書いていた”とうそをついたんですが、氷川君からは“そんなわけないでしょ”ってすごく怒られました」

 心酔した様子の氷川は、涙ぐみながら壇上の池田氏を見つめていたそうだが、長井氏によればメモ禁止にはこんな理由があるとか。

「池田先生って結構、放言しちゃうタイプなんですよ。実際に私が聞いた話で言えば、“(第2代会長の)戸田城聖の愛人の面倒を見るのが大変だった”とか平気で皆の前で話しちゃいますし、1990年代初頭に細川内閣で公明党出身の閣僚が誕生した時も、総理が発表する前の幹部会で“ウチから今度、石田(幸四郎)と神崎(武法)と坂口(力)が大臣になるんだぞ”という具合に人事をバラしたことがあって、対外的に問題となったと聞きました」

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