自公そろってトップが鉄オタに… 自作“運行ダイヤ”が採用された公明党新代表の知られざる鉄道愛
動画から分かる「鉄オタ」っぷり
斉藤氏は広島市の一部と安芸高田市を区域とする広島3区を選挙区にしているが、生まれは広島県と県境を接する島根県邑智郡羽須美村(現・邑南町)で、同地には三江線というローカル線が走っていた。
斉藤少年が羽須美村で過ごしていた当時の三江線は一本の路線になっておらず、広島県三次市の三次駅から延びる三江南線と島根県江津市の江津駅から延びる三江北線になっていた。1975年に両線がドッキングして正式に三江線となるが、当時から利用は低迷していた。このときから三江線には廃線議論が浮上し、それでも何とか持ち堪えていた。しかし、2018年に力尽きて廃線になっている。
三江線の廃止は斉藤氏にもショックが大きかったようで、国土交通大臣時代の会合でも頻繁に触れている。こうした各種の講演でも、特に鉄道マニアと思わせるような内容は見当たらない。三江線の話も、どちらかというと懐かしい少年時代の思い出話という趣旨で語られている。
しかし、斉藤氏がHPやSNSにアップしている動画を視聴すると、凄い鉄道知識を有していることがわかる。例えば、斉藤氏は東京工業大学大学院を修了後に清水建設へと入社しているが、その当時に東京と千葉を結ぶ北総開発鉄道(現・北総鉄道)の沿線に居住していた。
北総開発鉄道は日本一運賃が高いと言われる鉄道会社で、当時は沿線開発も十分ではなかった。そのため、生活しやすい路線とは言い難い。
そんな北総開発鉄道の沿線に、なぜ斉藤氏は住もうとしたのか? その理由は「運賃が高いから住む人は少なく、ゆえに不動産価格が安い」と判断したからだという。
そして北総開発鉄道の沿線に住んだことで北総線のダイヤが気になり、その研究を開始。斉藤氏が考案したダイヤは合理的だったことから、実際に北総鉄道に採用されることになる。そのダイヤ採用を機に北総線には急行が運行されるようになったと自身のHPにアップされた動画で語っている。
現在の北総鉄道は各駅停車と特急しか運行しておらず、急行は走っていない。しかし、1993年から2022年の10年間にわたって北総線では急行を運転していた過去がある。
ネット時代が本格化して時刻表の売上部数は減少しているが、それでも毎月のように発行される紙の時刻表を購入している鉄道ファンは少なくない。斉藤氏も時刻表を“愛読”する一人だが、それが高じて鉄道会社に考案したダイヤを採用させた経験のある鉄道ファンはめったにいない。そのエピソードだけでも、斉藤氏が突出した鉄道マニアであることを十分に感じることができる。
控えめな性格ゆえに、政界でも脚光を浴びるような華やかな立ち位置にいることは少なかった。そうした性格なので、鉄道マニアであることを広く知られる機会も少なかったと思われる。
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