4カ月半の監禁生活から生還も…三井物産マニラ支店長「若王子さん」が帰国後に“急死”した理由

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 1989年、平成が始まり約1カ月が過ぎた2月8日、かつて重大事件の被害者だった人物が急死した。フィリピン駐在中に誘拐され、137日後に解放された若王子信行氏である。日本を震撼させた「三井物産マニラ支店長誘拐事件」は、ちょうど38年前の11月15日に発生した。

 親しかった友人によれば、若王子氏は「運命を受け入れるタイプの人間だった」という。だからこそ、長い監禁生活を耐え抜くことができたのかもしれないが、その後の運命は皮肉だった。1987年4月2日の帰国から、55歳の若さで急死するまでの1年10カ月の間、一体なにがあったのか。

(「週刊新潮」1989年2月23日号「昭和史『前代未聞』」より「マニラ誘拐『若王子さん』と逝った『身代金の秘密』」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職等は掲載当時のままです)

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帰国時は「明日からでも働きたい」と

 誘拐事件が「人生で最悪の時」だったことは間違いない。が、その試練に耐え、「人生で最良の時」を迎えつつあった、まさにその時、死は突然やってきたのだった――。

 三井物産のマニラ支店長だった若王子氏が、ゴルフ場からの帰途、マニラ市郊外で武装した5人組に襲われ、連れ去られたのは、1986(昭和61)年11月15日。500万ドル(当時のレートで約7億5000万円)もの身代金を要求され、指を切断したように見せかけた写真や脅迫状などが送りつけられたものの、翌年の3月末、無事に解放された。

 4月2日に帰国した若王子氏は、「明日からでも働きたい」と元気な姿を見せた。監禁中に62キロまで落ちた体重も、やがて72キロに回復。「せっかく痩せたのになあ」といった軽口まで出るようになり、5月中旬、鉄鋼部門の薄板貿易部長として出社するまでにいたった。

2年後には取締役になっていたはず

「薄板貿易部長も重要なボストですが、若王子さんが本当に喜び、最高に幸福な時を迎えたのは、1988年6月、札幌支店長に栄転した時でしょうね」

 と言うのは、評論家の美里泰伸氏だ。三井物産は、全国に56の支店事務所を持ち、札幌支店は、大阪、名古屋、福岡に次ぐ4番目の規模を誇る。

「札幌支店長になったというのは、いわゆる重役コースに乗ったことを意味するんです。順調にいけば、若王子さんは2年後には取締役になっていたはずで、本人も張り切っていました。札幌赴任当初は単身でしたが、8月には夫人と娘さんがやってきて、まあ、何もかもがうまくいきかけていたんですよ」(美里氏)

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