「世界の黒澤」のオファーを断って…盟友監督が証言していた「高倉健」映画さながらのダンディズム

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「世界の黒澤」のオファーを断る

 11月10日で高倉健没後ちょうど10年。前回は高倉健主演映画「あ・うん」(89年公開)「鉄道員(ぽっぽや)」(99年公開)などに出演した板東英二さんとの思い出を書いた。

 戦後の大スターである高倉健のエピソードを書くのは、何とも恐れ多いのだが、後年の健さん映画を数多く手がけた降旗康男監督が11年前、監督人生を振り返る夕刊紙の連載「カチンコの音が聴こえる」で大いに語ってくれた。取材は3回。内容の6、7割は健さんについてだった。

「これはすごい」と思ったのは、黒澤明監督の85年に公開された大作「乱」を巡る「降板劇」だ。

 その頃、健さんは83年公開の降旗監督作「居酒屋兆治」に出ることになっていたが、そこへ黒澤監督から「乱」出演のオファーが舞い込む。撮影が重なるだけでなく、「世界の黒澤」からのオファーとあっては降旗監督側も引き下がらざるを得ない。「居酒屋兆治」はストップすることになったという。

 ところが、健さんは黒澤監督に「『居酒屋兆治』がすでに進行しているので」という理由で「乱」出演を断った。連載からそのまま引用する。

〈黒澤さんは『ボクが降旗君のところに話に行くから』って健さんを説得しようとしたそうですが、結局は健さんが『堪忍してください』って黒澤さんに話して降りることになりました〉(日刊ゲンダイ2013年3月30日付)

 黒澤映画といえば、演出を巡って勝新太郎が「影武者」(80年公開)を降板した騒動がよく知られている。健さんは自身が映画で演じるような立ち居振る舞いで男気たっぷり、しかもスマートに、世界の黒澤に出演を辞退していたのだ。まるで映画の中のワンシーンを見ているかのうような痺れるカッコよさというべきか。

「鉄道員」で江利チエミの歌が…

「鉄道員」では、ラストに流れる健さんの元妻、江利チエミが歌った「テネシーワルツ」を巡るエピソードが泣かせる。

 降旗監督は映画を撮る際、ラストシーンのイメージを大切にするという。「鉄道員」では映画の舞台になった北海道の改築した駅舎を見るため、健さんやスタッフらと出かけた。

 暗い駅舎に灯りがついている、外では雪がシンシンと降っている、そんな寒い北国のナイトシーン…。その瞬間に降旗監督の頭の中にはなぜか「テネシーワルツ」が流れたという。これだ! と映画の核が決まった。

 ただ、江利チエミの「テネシーワルツ」を流すことを健さんがどう思うか。健さんに相談してみるしかない。すると、健さんはこう返した。

「とってもいいとは思うんですけど、あまりにも個人的過ぎませんかね」

 しかし、監督の中でイメージは固まっている。ここも引用する。

〈「ボクらも年をとってきたから、これが最後になるかもしれない。だから、もう個人的なことでもいいんじゃないですか」って、ひと月かけて説得した。だけどダメ。
 そこで、予告編を作った時にその中の音を全部消して、『テネシーワルツ』を流したんです。ボクが「ピッタリでしょ」って言ったら、健さんがしぶしぶですが、うなずいてくれた〉
(同4月4日付)

 前回のコラムで、「あ・うん」のワンシーンを取り上げたが、降旗監督も同じシーンについて語っている。

 健さん演じる門倉と坂東さん演じる水田が碁を打つシーン。水田が長考に入った門倉に対してアドリブで「門倉、早く打てよ」というところを「高倉、早く打てよ」と言ってしまった。これは現場でも大受けで、みんなが笑いだして場が和み、それから健さんが率先してアドリブを言うようになったという。

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