妻は風俗嬢、夫は医師 異母兄弟たちと育った僕が彼女に惹かれた「なれそめ」
家にやってきたふたりの子供
「いわゆる嫁姑の仲もよくなかったみたいですね。そのうち、家に子どもがふたり、やってきたんです。僕が5年生くらいのときだったかな、あとから父の子だとわかりました。ひとりは4年生の女の子で、母親が急逝した。もうひとりはまだ3歳くらいの男の子。彼の母親は再婚するから子どもが邪魔だと父に託したそうです。この異母弟がかわいくて、僕は急にできたきょうだいがうれしくてたまらなかった。でも母はしょっちゅう泣いたり怒ったりしていました。母にとっては、やっていられないという気持ちだったでしょうね」
父とはほとんど口を利かなくなっていた母だが、子どもを無視するわけにもいかない。食事や身の回りの世話はしかたなくやっていた。だからこそ、誠太郎さんは腹違いの妹も弟もかわいがった。それを母は不満げに見つめていたという。
「僕が事情を理解したのは中学生になってからですが、それでも妹と弟に罪があるわけではないと思っていた。父は『すまないな』と言うので、『それはおかあさんに言ったほうがいいよ』と言ったこともあります。父は『おかあさんは謝っても許してくれないんだよ』と情けない声を出していました」
家族は今…
その後、もうひとり婚外子がいるとわかり、母は包丁をもって父を追いかけ回したことがある。「あれは怖かった」と誠太郎さんは苦笑した。
「父は愛情豊かな人だった。それぞれの女性から恨まれることもなく、引き取れる子はひきとって育てていたんですから。ただ、妻である母から見ると、私の存在は何なのと思っていたでしょうね。最初は我慢していた母だけど、そのうち我慢しきれなくなって父にストレートに文句をぶつけるようになった。そうなって初めて、夫婦の関係が安定したように僕には見えました」
両親は今も元気で、完全に母が主導権を握っているという。異母弟も異母妹も、現在は医師として生活している。数年に1度、家族が集まることもあるが、今は誰も遠慮もせず、穏やかで楽しい時間を過ごすことができているそうだ。
「不思議な一家だと思います。でも、これもまた家族のひとつのありようですよね」
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