中日・井上新監督は一見地味そうだけど…実は「伝説のプレー」の帝王 抗議電話が殺到した巨人戦の“誤審騒動試合”で見せた執念のバックホームとは

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 来季から中日の指揮をとることになった井上一樹監督。新監督の中では、“火の玉ストレート”の阪神・藤川球児監督や“ノーノー未遂3度”の西武・西口文也監督と比べると、どうしても地味な印象は否めない。ところがどっこい、20年間の現役生活では、好プレー、珍プレーの両方でファンの記憶に残る“伝説のプレー”を何度も演じた“スゴイ男”だったのだ。【久保田龍雄/ライター】

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“誤審騒動”を跳ね返した「伝説の守備」

 まずは、1999年7月22日の巨人戦で見せた“伝説の守備”から紹介しよう。オールスター前の最終戦、4ゲーム差で追う2位・巨人と対戦した首位・中日は、山崎武志、福留孝介の一発攻勢で、7回まで4対0と優勢に試合を進めていた。

 だが、8回の守りで球史に残る“誤審騒動”が起きる。無死一塁からマルティネスが右中間にテキサス性の飛球を打ち上げたことが、きっかけだった。

 ライト・井上が猛然とダッシュしてスーパーキャッチ。誰もがアウトを確信したが、なんと、田中俊幸一塁塁審は「ショートバウンド!」とコールするではないか。

 星野仙一監督が鬼の形相でベンチを飛び出し、猛抗議。左翼席の中日ファンも一斉に「八百長!八百長!」と叫び、試合を中継していた日本テレビにも50件以上の抗議電話が殺到したが、判定は覆らず、無死一、二塁で試合再開となった。

「ああいうところから流れが変わるんだ」と星野監督が懸念したとおり、次打者・高橋由伸も右前安打で無死満塁とピンチが広がった。

 そして、石井浩郎の右飛で三塁走者・松井秀喜が本塁を狙う。だが、「(マルティネスの飛球を)直接捕った自信はあった。今日は何としても勝ちたかったし、いっちょやってやろうかという気持ちだった」という井上が執念のバックホームで見事併殺に切って取る。

 2死後、二岡智宏のタイムリーで1点を失ったものの、直後の9回、怒りを闘志に変えた中日打線が一挙7得点と大爆発し、11対2の大勝。結果的に井上の2つの好プレーがチームを奮起させ、“KO勝ち”とも言うべき快勝を呼び込んだ。

 同年の井上は開幕から21試合連続安打を記録するなど、“恐怖の7番打者”と呼ばれ、攻守にわたって中日の11年ぶりVに貢献した。

 ちなみに判定トラブルを起こした田中審判は翌日、「残念ですが、確かに誤審です」と自らの誤審を認め、翌年、この事件の責任を取る形で引退している。

反骨心をバネに放った意地のホームラン

 チームの優勝を大きくあと押しする値千金の同点本塁打を放ったのが、2006年8月30日の阪神戦である。

 8回に勝ち越しを許し、1点を追う中日の最終回の攻撃も、虎の守護神・藤川球児の前に2死無走者とあとがなくなった。この場面で「代打・井上」が告げられる。

 だが、たちまち2ストライクと追い込まれ、甲子園の虎ファンから盛大な「あと1球」コールが沸き起こった。

「何があと1球じゃ」と反骨心をかき立てられた井上は2球ファウルで粘り、カウント1-2からの6球目、「ストレートに自信のあるピッチャーだから高めに来る」と読むと、外角高め、151キロのボール球を「1、2、3」のタイミングで迷わずフルスイング。理想的な角度で上がった打球は、起死回生の同点ソロとなってバックスクリーンに突き刺さった。

 試合は延長12回の末、3対3で引き分けたが、マジックをひとつ減らした中日にとっては、限りなく勝利に近い引き分けであり、落合博満監督も「ベンチのミスを井上が帳消しにしてくれた。井上様様だよ」と絶賛した。

 その後、阪神は歴史的猛追で2ゲーム差まで追い上げたが、最後は中日が逃げ切り。結果的に井上の“伝説の同点弾”が大きくモノを言った。

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