受刑者を「さん付け」で“刑務所”は本当に処遇改善できるのか 刑務官がストレスを募らせる理由「1年も経たずに辞めていく新米刑務官も結構います」
バブル経済期の変化
現在の刑務所は明治以降、日本が近代化を目指す中で整備が進んだ。フランスなどヨーロッパの司法制度を取り入れ、明治4年に司法省(現在の法務省)が設置。刑務所について定めた法律「監獄則」が布達されるのと同時に奈良監獄が建設された。さらに明治41年には「監獄法」が制定され、明治の五代監獄(奈良・長崎・千葉・金沢・鹿児島)が整備、近代的な刑務所につながっていった。
日本で犯罪者に対する刑罰は「懲らしめる」のが当たり前という考えが根強かった。監獄法が施行されるようになってからも、刑務所では管理側が強い権限を持ち、受刑者の人権はほとんど無視されてきた。
時代は飛んで1974年、各地の刑務所で「獄中者組合」が結成され、受刑者の処遇改善要求闘争が活発化した。だが、日本社会がようやく受刑者の人権に目を向けるようになったのはバブル経済期からだろう。この頃は経済事件が頻発し、大物の政治家や経済人が刑務所に入ることが増えたためだ。
1982年、87年、91年に監獄法の改正案が国会に提出されたが、長い歴史を持つ管理権限への執着や、現場の習慣は簡単には改まらなかった。
完全菜食主義にも対応
冒頭で触れた通り、名古屋刑務所では刑務官の日常的な暴力で受刑者が相次いで死亡する事件が発生。後に重傷事件も明らかになり、2006年に『刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(刑事収容施設法)』が施行された。こうして明治時代から約100年間も続いた監獄法はようやく廃止となった。
現在の刑務所では外国人の受刑者も珍しくない。ヴィーガン(完全菜食主義者)や宗教の戒律に合わせた食事も提供されるようになった。だが、実際のところはどうなのか。Bさんは監獄法時代の刑務所に14年間、服役した経験を持つ。Bさんに話を聞くと、「とにかく昔(監獄法時代)はひどかったですよ」と振り返る。
「例えば工場作業で指をケガしたとするでしょ。新米のうちはよくあるんですけど、血がダラダラ流れてるのにカットバンひとつくれないですから。しょうがないから作業で使う瞬間接着剤で傷口を塞ぐんですよ。その後は炎症だらけですよ。当然、炎症しても相手にして貰えませんけどね。これが刑務所での医務の基本でしたね」
Bさんの指は出所後の今でもいびつな色をしている。
懲役刑の実態は「懲役+虐待」
「風邪で高熱が出てても普通に作業させませたし、刑務官に相談しようとすると私語厳禁を理由に懲罰房に送られました。意味分かんないですよ。受刑者は裁判で懲役刑が確定したから服役しているわけですが、懲役刑の実際は『懲役刑+あらゆる虐待』というのが本当のところです。塀の中で自殺した人もいますし、刑務官にイジメ抜かれ、実質的に殺されたような人も結構いましたからね」(Bさん)
刑事収容施設法の施行によって、大きく改善されたのは以下の3点だ。
【1】自由に手紙が出せるようになった
【2】苦情の申立てができるようになった
【3】誕生会のメシが美味くなった
改善の肝と呼べるのは、今のところはこれぐらいだ。そのため今後も見直しを行うとのことだが、服役経験者からすると改善の実感に乏しいというのが率直な感想のようだ。
まず受刑者の名前を呼ぶようになったことについてCさんに聞いてみた。前科11犯のCさんは刑事収容施設法の改正前後に全国各地の刑務所に服役した経験を持つ。
「いくぶんなら雰囲気が良くなったかもしれませんが、結局は、受刑者のことをブタとかバカって呼ぶ職員や刑務官もいますからね。そういうのは日常茶飯事です」
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