どんな名作にも監督には著作権がない!? 再上映が話題「映画監督って何だ!」で200人の映画監督が訴えたこと
監督たちが求めているものとは
「さらに、この映画の見どころは、3人の(当時の)現役監督による、“演出実験”です。映画ファンにとっては、ご馳走シーンで、ここだけでも観る価値があります」
それは、名作映画「煙突の見える場所」(五所平之助監督、1953)のワン・シーンを、本木克英、故・鈴木清順、林海象の3人が、それぞれ、独自の解釈で“再演出”する企画だ(佐野史郎や故・原田芳雄が演じる)。これによって、おなじシーンが、監督によっていかに変わるかを実証し、監督に著作権が生じて当然であることを訴えているのだ。
「ほかに、いまは亡き名監督たちの姿が見られるのも貴重です。冒頭でパロディ時代劇を演じる若松孝二監督や、インタビューに登場する新藤兼人監督……。なかでも熊井啓監督は、日活時代の師匠筋にあたる田坂具隆監督の、重要なエピソードを語ってくれます。名作『陽のあたる坂道』(1958)が、あまりに長いので、会社側からカットを要求される。これに対し、田坂監督が辞表を提出、撮影所を去っていくところを、若き日の熊井監督はじっと見守っていたそうで、『あの姿は忘れられません』と、しみじみと回想しています」
ラストでは、かつて日本映画監督協会理事長をつとめた大島渚が登場する。大物である。だが残念ながら、当時、大島監督は脳出血で倒れ、リハビリ中だった。よって会話はできず、半身不随に近かった。それでも大島監督は、着物姿でカメラの前に堂々とあらわれ、不自由な片手で〈監督は映画の著作権である〉と、毛筆で記す のである。
「かつて、この件にかんする大島さんの奮闘ぶりを知っている身としては、ちょっと涙がにじんできました」
と、映画ジャーナリストはいう。
「実は、1970年4月1日、著作権法改正を審議する衆議院文教委員会に、当時は監督協会の常務理事だった大島さん自身が、参考人として乗り込み、『第29条は悪法だ、削除せよ』と、“大演説”しているのです」
当時の議事録から、大島渚監督の“大演説”の主要部分を紹介しよう(一部省略あり)。あの熱い怒声が、聴こえてくるはずだ。
〈著作者の権利の保護のためである著作権法案を、今回の法案におきましては、各種の関係を調整する調整法、あるいはひどくいえば著作権の制限法、さらにひどくいえば、著作権を擁護するのじゃなくて、利用者を保護する利用者保護法と化しているような感じがするわけです。悪法案であるところが、映画においては非常にはなはだしい。その最も端的なあらわれが、この著作権法案の第29条であります。〉
〈(29条は)映画をつくった人間から著作権を取り上げて、映画製作者に帰属させてしまう、こういうことになっておるわけです。この場合、映画製作者というのは、つまりこれは映画会社であって、したがって著作者がつくった映画の著作権を取り上げて映画会社にやってしまうという、むちゃくちゃな条項が入っておるわけです。〉
〈そもそも著作権は、人間の私権――これは財産権に属するものであると考えられております。これは憲法によって保護されている。これをあえて著作権法案は奪おうとしている。〉
〈ぼくたちは、決して著作者の権利を会社に渡さないというのではないのです。それをすべて契約によって渡そうということが一番正しいことなんじゃないか、これが自由主義経済の原則に立つわが国として当然正しい方法じゃないか、そういうふうに考えるわけです。だから、映画についての特別の規定は、すべて削除していただきたい。少なくとも29条は絶対に削除していただきたい。そうでなければ、今度の著作権法というものは、映画をつくる人間の権利を奪い、日本の映画文化の発展を不当に阻害するという悪名のみが永遠に残る以外に何もない。〉
「この大島監督の発言でわかるように、監督協会は、著作権を監督に独占させろといっているのではないのです。監督が著作権者であることを認め、そのうえで、キチンと契約を交わして、映画会社に帰属するようにしてくれ、といっているのです。ラピュタ阿佐ヶ谷のチラシでも、梶間監督は、“著作権を獲得した後は、支分権(利用の権利)を契約によって製作者に移転する”との主旨を述べています。つまり彼らが求めているのは、金銭的なことではなく、〈映画製作者の矜持としての著作権〉なのです」
映画「映画監督って何だ!」は、11月17日(日)~19日(火)は16:40~、20日(水)~23日(土)は15:10~、ラピュタ阿佐ヶ谷で上映される。上映時間は88分である。