「100歳以上生きる人」の共通点とは? 500人以上の百寿者と面談した専門家が明かす 「老害という言葉を危惧している」

ドクター新潮 ライフ

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「ピンピン」か「地獄」か……

 1992年にCMに起用され、元気な100歳の双子として「きんさん、ぎんさん」が話題になった頃は、「きんさん、ぎんさんみたいになりたい」と、“ウブ”に考えていた人が多かった。それに対し、いまは「100歳になれたからといって、きんさん、ぎんさんみたいになれるとは限らない。それはイヤだ」と感じる人が増えているのではないでしょうか。

 そうした空気が醸成される背景には、メディアの報道も影響しているでしょう。「介護地獄」のような悲惨で恐怖感が漂うケースを取り上げたほうが関心が集まりやすいので、そうした類のニュースが多く報じられる。一方、百寿者を紹介する場合は、驚くほど元気な人を取り上げたほうが注目されるので、冒頭で触れたようなピンピンコロリコースを歩んでいる人を好んで紹介する。「ピンピン」か、さもなくば「地獄」か。両極端の情報に慣らされると、元気なうちに80歳くらいで死にたいと考える人が多くなってしまう……。

「老年的超越」

 しかし当然ながら、ピンピンと地獄の間にはグラデーションがあります。どこかに障害を抱えてはいるものの、幸福感を覚えながら100歳まで生きている人はもちろん存在します。私たちの社会はいま、そうした人たちの生き方に、あまり目を向けようとしていないのではないでしょうか。ピンピン以外は地獄なのだと。

 そう思い込んでいる人には、ぜひ「老年的超越」という概念を知っていただければと思います。ごく分かりやすく言うと、「高齢になって不自由さはあっても生きていて幸せだと感じられる精神性」のことです。この概念を提唱したスウェーデンの社会老年学者は、老年的超越を「加齢に伴う、社会で求められてきた物質主義的で合理的な世界観から宇宙的、超越的、非合理的な世界観への転換」と定義しています。

 実際、「PGCモラールスケール」という「幸福感を測定するための質問票」を用いた調査を行ってみると、100歳の人の得点は、中年期や若い高齢者の得点とほぼ変わりませんでした。さらに自立が難しい人に限定すると、65~90歳までの人より、なんと100歳の人のほうが幸福感は高いという結果が出ました。

ピンピンでなくても幸せ

 若い頃に比べて100歳になればさまざまな面で不自由になる。それでも、十分に幸せだと感じられる。言い方は変かもしれませんが、年を重ねることで「ぼろは着てても心は錦」というような心境になれる人が少なくないのです。要は、「ピンピンしていなくても幸せ」ということです。

 先に私は、ピンピンコロリ型人生ではなくても幸福な老後は送れると述べました。それは、老年的超越を踏まえた上で、百寿者の幸福感は「健康か否か」だけで決まるのではないということを意味します。ピンピンというわけにはいかない不自由さを抱えつつも、その問題をスルリとすり抜け、うまく不自由さと折り合いをつけて幸せに人生の幕を閉じる。「ピンピンコロリ」ではないこの老後のあり方を、私は「フニャフニャスルリ」と名付けています。

 100歳まで生きたくないと考えている人でも、フニャフニャスルリの道があれば百寿者になるのも悪くはないと思えるのではないでしょうか。百寿者となる可能性が高まっているいま、ピンピンコロリの一本足打法ではなく、フニャフニャスルリを加えた二本足打法の人生観を用意しておくことが重要ではないかと思うのです。

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