政局のキーマン「玉木雄一郎」とは何者なのか 地元は“玉木王国”、立憲民主党との“本当の関係”とは
国民民主党の玉木雄一郎代表が政局のキーマンとなっている。自民、公明両党による与党は10月の衆院選で過半数(233議席)を割る大敗を喫したのに対し、国民民主は4倍増となる28議席に躍進。政権維持を図る自公との政策協議に入った。玉木氏は連日メディアに露出して、看板とする「年収の壁突破」「ガソリン税のトリガー条項凍結解除」などの積極財政政策を説く。さながら「玉木ブーム」の様相である。
玉木氏は、旧民主党が政権を打ち立てた2009年衆院選で初当選した。なぜ野党第1党の立憲民主党に在籍せず、少数勢力だった国民民主を率いてきたのか。これまでの歩みはどうなのか。あまり知られていない新人議員時代の動きなどから読み解きたい。
【市ノ瀬雅人/政策コンサルタント】
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11年夏の菅直人政権の末期。与党だった旧民主党の3人の衆院当選1回生が集まり、密かに活動を開始した。消費税率引き上げ方針への世論の強い反発を懸念し、次の衆院選で勝ち抜く策を編み出す狙いだった。3人は、党幹部にパイプの太い石津政雄氏、党内やメディアなどに人脈の幅広い森本和義氏、そして財務省出身で政府情報や法令づくりに明るい玉木氏だった。このうち、今も国会議員であるのは玉木氏だけである。
彼らは仲間を10人以上に広げて「礎会」(いしずえのかい)というグループを結成。11年末には、同会が中心となって「身を切る改革」として衆院議員定数の80人削減案をつくり、旧民主の1回生約90人分の署名とともに、野田佳彦首相(現・立憲民主党代表)らに提出した。80人削減は結果的に実現しなかったものの、玉木氏は当時、国会の赤絨毯の上で記者団に向け「定数削減なくして増税なし」と訴えていた。
このときは消費税増税を進めた野田首相と、強く反対していた小沢一郎・元旧民主党代表率いるグループが激しく対立。12年の国会で増税法案は成立したが、小沢氏ら大量の議員が造反した。これに対し、反小沢派の若手らが厳しい処分を求めるなど、1回生議員も多くが両派に分かれ政争を繰り広げた。
しかし、玉木氏はどちらにも与しなかった。結果、抗争の傷を負うことはなかった。野田首相が増税を取り下げる可能性がないと判断した以上、選挙を乗り切るには大幅な定数削減のアピールしかなく、あとは選挙区での自助努力―。こう見切ったのだろう。冷静に状況を見極めて合理性を重んじると評される玉木氏。与野党の間で、これまで瀬戸際戦術さながらに少数政党を率いてきた動きの原型が、ここに見出せそうだ。玉木氏は実際、旧民主党が壊滅的惨敗となった12年衆院選でも小選挙区で当選した。
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