大敗「公明党」が直面する“危機”の正体…学会員の高齢化だけではない「庶民の党」を揺るがす深刻な課題とは

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およそ20年で「300万票」を減らす

 公明党の比例票は今回、596万票まで落ちた。ピーク時(05年)には898万票という集票力を誇ったが、20年近くをかけて約300万票も減らす長期低落傾向である。

 原因としてしばしば、「学会員の高齢化」が指摘されるが、同時に、「リーダー人材の払底」が組織離れを加速させている可能性もある。

 このメカニズムを考えるにあたって、公明党議員の人材によくある2つのパターンを頭に入れておく必要がある。

 1つは学会の学生部長や青年部長など、信仰活動を担う全国組織のトップを任されてきた活動家の系譜。もう1つは弁護士や官僚上がりなど、まばゆいばかりのエリートコースを歩んだ者の系譜だ。

 前者の軸になるのは学会の出世コースである男子部長、青年部長の経験者だ。06年から09年に党代表を務めた太田昭宏氏(79)は京大大学院修了後に公明新聞記者など経て議員になるが、それまでの間、宗教組織の上では、男子部長、青年部長を経験している。太田青年部長時代の部下だった井上義久氏(元副代表)もこの系譜に属する。党所属の議員ではないが、自民党の菅義偉元首相と気脈を通じ、自公のパイプ役として学会サイドで選挙を仕切ってきた副会長の佐藤浩氏は、やはり青年部長などの経歴を歩んだ人物だ。

 太田氏が青年部長に就いた1982年当時のことを70代の学会員が振り返る。

「あの年、所沢の西武球場を借り切って、『世界平和文化祭』という学会のイベントを一緒に作り上げたんです。だから太田は飲み食いを共にし、一緒に汗をかいた同志だよ。彼が党代表になった時(06年~09年)、『あいつのために』と選挙を頑張った同年代の人間もたくさんいたよ」

 50代の都内の地域幹部も「今の学会幹部と違って佐藤さんは僕らと酒を飲むし、集会でマイクを持てば涙を流して語る。彼が部長時代の青年部は活発でしたよ」と回顧した。こうした背景があってこそ、選挙を通じて多くの学会員を動かすことができたと考えた方がよい。

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