投手歴2年半でソフトバンク「ドラ1」 神戸広陵の153キロ右腕「村上泰斗」が歩んだシンデレラ・ストーリー 「佐々木朗希」と「山岡泰輔」の“ハイブリッド”で急成長!
春夏の甲子園に出場できず、全国大会で全く実績がない神戸広陵の右腕、村上泰斗は、どうしてソフトバンクからドラフト1位指名を受けたのか。投手歴2年半の村上が駆け上がった“シンデレラ・ストーリー”に迫った――。【喜瀬雅則/スポーツライター】
(前後編の前編)
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1年夏から早くもAチームの控え投手に
10月24日のドラフト会議でソフトバンクが1位指名したMAX153キロ右腕、神戸弘陵・村上泰斗は、甲子園出場経験もなく、全国的には決して名の通った存在ではなかった。
本格的に投手を始めたのは高校入学後。しかも中学までは捕手で、神戸弘陵にも「キャッチャーとして、バッティングの方で誘われました」。本格的な投手歴、わずか2年半足らずで、その将来性を高評価されるまでになり、ドラ1右腕へと駆け上がってきた。
まずは、その“シンデレラ・ストーリー”のプロセスを、村上本人の言葉と、恩師である神戸弘陵・岡本博公監督の回想とともに振り返ってみる。
兵庫・猪名川中時代に村上が所属していた「大阪箕面ボーイズ」の監督が、神戸弘陵のOBでもある岡本監督の先輩で「その方から『身体能力が高くて肩が強い。面白いと思うんやけど』と紹介を頂いたんです」。
それが、岡本監督と村上との出会いだった。
「本人と話してみたら『ピッチャーをしたいです』と言うので、じゃあ、やってみようかという感じでスタートしたんです」
素材の良さは抜群で、早くも1年夏から主力中心のAチームに控え投手として帯同。夏の兵庫県大会直前の練習試合で大量失点したことで最終メンバーからは外れたものの、投手歴3カ月で、早くも“主戦級”に迫る能力を垣間見せていたことは、村上のポテンシャルの高さを証明するエピソードの一つだろう。
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