コメ不足の戦犯は日本を代表する「ブランド米」だった――田んぼがコシヒカリの“親戚”だらけになった農業政策の「失敗と限界」
今夏に起きた「令和のコメ騒動」が浮き彫りにしたのは、国の農業政策の限界だった。しかも、「コメ不足」は一過性のものではなく、今後も起こり得る構造的な問題を孕む。そのしがらみを突破する新しい試みとは何か――。農業の最先端を取材するジャーナリストが迫る。【山口亮子/ジャーナリスト】(以下は「週刊新潮」2024年10月31日号掲載の内容です)
9月下旬、新潟市内の水田地帯で多くの田んぼの稲が、まるで波が打ち付けたかのように、べったりと横たわっていた。
「この辺だと、7割の田んぼでコシヒカリを作ってますよ。収穫の時期に長雨が降ると、穂の重さで倒れるのが普通なんです」
こう教えてくれたのは、新潟市の農業法人・木津みずほ生産組合の代表を務める坪谷利之氏だ。訪問した時は前日まで3日間雨が続いていた。
コシヒカリは、もっちりした粘りと甘味、粒のつや感などに優れ、おいしいコメである一方、病気にかかりやすくて倒れやすい。倒れてしまうと、収穫やその後の乾燥・調製作業に時間がかかるし、水に浸かった穂が発芽し、コメが売り物にならなくなることもある。逆に倒れない稲もあるが、そうした稲は実りが悪く、むしろ問題となる。つまり、倒れていようがいまいが、収穫には影響が出てしまう。
新潟県がコシヒカリの開発を始めたのは、戦時中の1944年のことだった。開発時は暑さを想定していなかったため、高温に弱く、2023年は猛暑により、最高等級にあたる1等米のコシヒカリの割合が、新潟県産で過去最低の4.7%を記録した。近年は75%ほどなので、いかに不作だったかがわかる。
このコシヒカリの暑さに弱い点が今回のコメ不足の大きな原因の一つとなった。昨年の猛暑でコメの流通量が減ったこともあり、スーパーの棚から主食が消える事態となったのだ。
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