悲しい理由で“行為はなし”のバツイチ夫婦 50歳夫が沼ってしまった「思わぬ相手からの誘い」
口説いた永太さんだったが…
もちろん、永太さんは深い関係になるつもりだった。だが彼女は、コーヒーと自分が作ったクッキーをふるまってくれただけで、エロティックな気配は微塵も感じさせなかった。それでももちろん、彼は口説いた。このまま帰りたくない、もっときみを知りたいとも言った。
「体の関係をもてば、もっと知ったことになるのかな、と彼女は冷めた声で言いました。それより私はもっと心の関係を深めたいって。下心を逆なでされたような気分でしたが、無理強いはできない。彼女との関係もこれまでかなと思ったんですが、彼女もまた不思議な人で、それ以降もたまに食事などに誘ってくるんですよ。だから、僕は友人という範疇で固定されたと考えればいいのかなと言ってみたんです。僕自身も、彼女のことは好きだけど、これが恋愛感情になるかならないかの狭間だったから。すると彼女は『恋人でもいいの。でも体の関係はもう少し待ってね』って。変わった人だと思っていた」
ただ、2年ほどたったころ、それは彼女のトラウマから来ているとわかった。モラハラ夫から無理強いされ続け、ついには陰部に裂傷を負ったことから、彼女はセックスができなくなっていたのだ。ようやく白状したとき、彼女は彼の胸に顔を埋めて泣いた。
「やっと重荷を下ろせたと彼女は言いました。そのときの表情がとてもきれいで、僕は思わず、結婚しようって言っちゃったんです。今のままでいい、一緒に暮らさなくてもいい、セックスしなくてもいい、ただあなたと社会的にカップルだと認められたい、と。すると夕美は本当にうれしいって一晩中泣いていた」
お互いに孤独だったんだと彼は思ったそうだ。それを少しでも埋められるなら、それでいい。いつか一緒に暮らして一緒に寝るような関係になってもいいし、ならなくてもいい。自分の中で「夫婦の概念」が崩れていった。
娘と久々に再会し
ひっそりと婚姻届を出した。華々しく祝福されなくても、じんわりとうれしかった。お互いに40代後半だったから、親しい友人に話をしただけだった。
「時間があれば会ったり、たまに部屋を行き来したり。手が届くところに“妻”がいるのに、稀に小鳥のくちばしみたいな浅いキスをするだけでした。抱きしめられると怖いというので、手を繋いで寝たことはありましたね」
不満はないと思っていた。彼女とはいろいろな話ができるようになっていたし、案外、毒気のある言葉を吐くこともあり、話すのが楽しかった。なにより彼は、彼女の心にゆっくり寄り添っていることで幸せだった。
「ところが去年の夏、志織から突然連絡があったんですよ。帰国したって。娘と3人で会わないかと言われ、飛んでいきました。メールではときどきやりとりをしていましたし、写真も送ってもらっていたけど、実際に目の前に現れた娘を見たとき涙が出ました。娘は海外の大学に入るため、夏休みが終わったらまた戻るけど、夫が日本での勤務になったのでこちらで暮らすということでした。娘はいい子に育っていました。養子縁組してくれた志織の夫も、大事に育ててくれたみたいで。パパがふたりいてハッピーだって娘は笑っていた。娘のために貯蓄してきたお金を、留学費用に使ってほしいと渡しました。娘は僕に抱きついて頬にキスしてくれた。海外育ちなんだなあと妙なところで感心しましたね」
心の奥でずしりと重かった鉛が溶けていった。もう思い残すこともないと永太さんはさっぱりした気持ちになった。
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