こんな女を妻にしておけない… 50歳夫が別れを決めた「社交的」「パーティ好き」な彼女の真実
「パーティに参加する」と出かけ…
志織さんには友だちも多かった。留学していたころの友人が来日すると聞くと、観光案内を買って出た。誰かが困っているとすぐに助けに行き、事情を聞いて解決できる専門家を紹介したりもしていた。とにかく顔が広く、永太さんは交友関係すら把握できなかった。
「それでも基本的には家庭が最優先だと言っていたし、僕はそれを信じていました。だけど娘が3歳のころ、彼女が友人のパーティに参加すると言って出かけ、翌朝まで帰ってこなかったことがあったんです。遅くなるとは言っていたけど、翌朝になるとは聞いていない。携帯電話も切られていたから心配しましたよ」
心配からつい「何やってんだ」と怒ってしまった彼に、志織さんは「ごめんごめん」と軽く言った。その態度に永太さんはムッとした。そんなに怒らなくてもいいじゃない、友だちと遊びたいときだってあるわよ、あなたもいいわよ、思い切り遊んできても。妻はそう言ったのだが、それが彼には開き直りに聞こえた。
「きみは母で、それ以前に僕の妻なんだよ。人妻が夜通し遊んでいるなんて常識じゃ考えられないだろうと言ったら、彼女の導線に火がついてしまった。『ちょっと待って、常識ってなに? あなたはそうやって私の行動を制約するつもり?』と返ってきた。妻として、母としての自覚をもてよと言うと、たかが一晩遊んだら、自覚がないということになるわけ? とさらに怒らせてしまった」
「音を立てて家庭が崩壊」
それをきっかけにふたりの関係はギクシャクするようになった。妻が一言、ごめんなさい、もうしないと言えばすんだのにと永太さんは言う。だが志織さんにとっては、自分の自由を阻害されるのは何にも代えがたい怒りだったのだろう。
「その日、志織は娘を両親に預けていました。だから娘をないがしろにしたわけではない。何を怒っているのかわからないというわけです。でも僕は、その自覚のない態度が嫌だった。今思えば、妻が外で何をしているのかわからないことじたいが嫌だったんだと思いますが、ストレートにそう言えなかった。だから妻だの母だのという言葉を出した。彼女はそれが気に食わなかった。自分は役割で生きているわけじゃないということだったんでしょう」
それからも数ヶ月に一度、志織さんは友人と飲み会だの相談事を持ちかけられているだのと言っては、深夜から明け方に帰ってくることがあった。永太さんは文句を言う気持ちさえ失っていった。
「ガラガラと音を立てて家庭が崩壊していきました。ある日、やってはいけないと思いながらも家にある妻のパソコンを開けてしまったんです。そこには“パーティ”の写真がたくさん保存されていた。息が止まりそうでした。目を疑った。パーティというのは、乱交パーティだったんです」
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