未経験から「宮古島トライアスロン」日本人女性初の優勝へ! 勝又紀子が感じた“レースの喜び”(小林信也)
恐怖症は泳げない
僕はレースの全てに同行し、車で追いかけ、要所で声をかけ続けた。しかし、かけられる声は一つしかなかった。彼女はいつも切なそうだった。苦しみと向き合っている。そんな彼女に「がんばれ」とはとても言えなかった。かといって、「大丈夫?」と聞くのも闘志に水を差す。思わず僕は、「どう?」と語りかけるしかできなかった。すると決まって勝又は何も言わず、うなずいて走り去った。わずかにほほ笑むこともあった。
2年目のアイアンマンを前年より1時間8分も速く完走。チーム解散後も、勝又は競技を続けた。そして91年、前年までずっと海外選手が制覇していた宮古島大会で日本人女性初の優勝を遂げた。
「うまくいっている時は楽しい。今日が終わるのがもったいない。きついけど、自分の体を押していける楽しさ。苦しい時でも動いてくれる脚がある……」
独特の表現でレースの喜びを教えてくれた。
「一人で海を泳ぐと急に怖くなることがある。アイアンマンは恐怖症のある人は泳げない。水深100メートルくらいのところもあるから」
そんな話は初めて聞いた。
94年、99年にも宮古島で優勝。2008年北京五輪からは日本代表の総務を務め、パリ五輪にも同行した。
雑誌の企画から日本代表に貢献する人材が輩出できた。スポーツライターは取材して書くだけの存在ではない。それは僕自身の覚醒の時でもあった。