【裏金で惨敗】丸川珠代氏の東大同級生&元テレ朝同僚アナが街頭演説で気づいた“変化”「陽の当たるところでずっと攻め続けてきた彼女はどこへ行ったのか」

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自民党議員になるとは思いも寄らなかった

 私は第一報を聞いたとき、丸川氏は自民党政権を痛烈に批判する経済学者の金子勝氏と共著の本を出していたので「野党から立候補したのだろう」と思ったら、安倍晋三氏の推薦で自民党から出ると聞いて「本当?」と聞き返した記憶がある。

 そして、東京選挙区自民党2人目の候補として選挙に挑んだ丸川氏の傍らにいたのは、キャスター出身者の先輩、小池百合子氏だった。

 当時防衛相だった小池氏と涙ながらに二人三脚の街頭演説を回るなどし、様々な大物の応援を受けた丸川氏はもう一人の自民候補を下して初当選。その後、安倍晋三氏らの抜擢を受けて環境相や五輪担当相を歴任したことは周知のとおりだ。

 常に何かを追い求め、周りとぶつかろうと果敢に突き進む。私がこれまで見てきた「攻め」の丸川氏には、えも言えぬ迫力があった。

 ところが、今回、822万円の政治資金収支報告書の不記載、いわゆる「裏金問題」が直撃した丸川氏の選挙は「守り」の戦いとなった。比例区の重複立候補はなく小選挙区で勝つしかない背水の陣。初めて目にする「守り」の丸川氏に感じたのは、違和感だった。

 裏金問題に高い関心が集まっている以上、これをきちんと説明して有権者に納得してもらう「正面突破」以外では戦いにならないはずだった。しかし、丸川氏はミニ集会などで「不透明な資金の流れに気づくことができなかった」等と説明しただけと報じられた。

 さらに街頭演説の日程などをほぼ明かさない水面下の選挙活動に報道陣も行方がつかめなくなり、わずかに報じられた「どうかお助けください!」という涙の訴えは「助けて欲しいのは国民の方だ」という大炎上を招いた。そこに「攻め」の丸川氏が見せる迫力はなかった。その戦いは「守り」ですらなく、いつしか「逃げ」に変わってしまったのではないか。

最後まで「裏金問題」から逃げ続けた丸川氏

 そうした思いは、選挙戦最終日に丸川氏の姿を目の当たりにして確かなものとなった。

 石破首相も応援に駆け付ける中集まった聴衆を前に、丸川氏はひとり一人と握手しながら「よろしくお願いします」と声を掛け始めたが、その動きはゆっくりで声は抑えめだった。表情は悲愴でもなく、明るくもない。既に立憲民主党候補リードの見込みが報じられていたからなのか、どこか達観しているようにも見えた。

 その後、丸川氏が壇上に上がり演説を始めたが、育児をしながらの政治活動の大変さなどを訴え「裏金問題」を具体的に語ることはなかった。「厳しいご批判も頂き、そのたびに反省をした」とだけ語って別の話題へと移り、続いてマイクを握った石破首相の口からも「裏金」という言葉は出てこない。逆風に向き合っていないように思える丸川氏の姿に、いつもの迫力を見ることはできなかった。

 そして落選。記者を前に「いずれにいたしましても地域の有権者の皆様が選んだ結果でございますので」と語る丸川氏の口調はだれか他の人のことを語っているようで、感情の動きを見て取ることは難しかった。

 その人の真の姿は、逆境のときにこそ現れる。今回逆風にさらされた丸川氏は、それに真正面から立ち向かうことを選ばず、逃げてしまったのか。その結果行き先を見失っているように見えた。それはこれまでに見たことがない丸川氏の姿だった。

 大学に入学した日から35年が過ぎた。「攻め」続けて進んできた丸川氏は、今回一つの岐路に差し掛かったのだろうか。この先どんな道を進むのだろうか。ただ静かにその行き先を見つめたいと思っている。

西脇亨輔(にしわき・きょうすけ)
1970年10月5日、千葉・八千代市生まれ。東京大法学部在学中の92年に司法試験合格。司法修習を終えた後、95年4月にアナウンサーとしてテレビ朝日に入社。『ニュースステーション』『やじうま』『ワイドスクランブル』などの番組を担当した後、2007年に法務部へ異動。弁護士登録をし、社内問題解決などを担当。社外の刑事事件も担当し、詐欺罪、強制わいせつ罪、覚せい剤取締法違反の事件で弁護した被告を無罪に導いている。23年3月、国際政治学者の三浦瑠麗氏を提訴した名誉毀損裁判で勝訴確定。6月、『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎刊)を上梓。7月、法務部長に昇進するも「木原事件」の取材を進めることも踏まえ、11月にテレビ朝日を自主退職。同月、西脇亨輔法律事務所を設立。

デイリー新潮編集部

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