政党をまとめるのは、総理大臣やるより難しい… 大躍進の立憲・野田佳彦代表が「子ども向けインタビュー」で漏らした本音

国内 政治

  • ブックマーク

 10月27日の衆院選で、98議席から148議席と大きく議席を伸ばした立憲民主党。“敵失”の影響は否定できないものの、今後の政局での発言力が増したことは間違いない。前身の民主党が政権を担った 3 年間を“悪夢”と揶揄する人もいるが、当時、野田佳彦代表が第95代内閣総理大臣を務めていたのはご存じの通り。今年6月に発売された子供向け書籍のインタビューでは、政治家を志したきっかけや原点とともに、首相時代の苦労など、子どもたち相手だからこそ漏れた“思わぬ本音”も垣間見えて――。

(前後編の後編)

 ***

※この記事は、『僕たちはまだ、総理大臣のことを何も知らない。』(長谷部京子著、Gakken)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。

少年時代が一変した、小学6年生時の失敗

 子どものころは千葉県の船橋市に住んでいました。今はずいぶん都市部になっていますが、私が子どものころは、田んぼや畑があって、小さいころは野生的に元気に育ったんです。 私が変わったのは小学校6年生の時です。クラスのみんなから推されて、生徒会長選挙に出たんです。

 全校生徒の前で、演説をしなくてはいけなくなりました。演説なんてしたことがなかったし、たくさんの人の前で話したことすらありませんでした。出たくもないのに、クラスのみんなから推薦されて、とまどいながら出ました。そして、私は負けました。4クラスから1人ずつ候補が出たのですが、当選した子の演説が抜群にうまかったんです。冒頭の言葉に衝撃を受けました。「私が当選した暁には」って言うんですよ。「アカツキ」という聞いたこともない言葉にショックを受けて、おじけづいたんです。

 その子は見事な演説で1位当選しました。お父さんやお母さんが、演説の手助けをしたのかもしれません。2位は、今で言えばアイドル風のイケメンだったんです。女の子の圧倒的な支持を受けていました。結局僕は最下位でした。

 ちょうど変声期、子どもの声から大人の声になる時で、喉のどがむずむずして気持ちが悪い時期でした。無理に声を出そうとすると、すっとんきょうな声になるんです。緊張しているし、その状況の中で第一声がそんな声だったんです。大爆笑になりました。その結果、みじめに落選し、大ショックでした。

 その後、中学、高校、大学と人前で何かやろうなんてことはまったく思わなくなりました。シャイな少年でしたね。小学6年生のこの失敗を、ずっと引きずっていたんです。選挙の前と後で劇的に変わってしまった小学校時代でした。

 子どものころは、本を読むと、その本に出てくるいろいろな仕事に興味がわいていました。シャーロックホームズを読むと探偵に、ルパンを読むと怪盗に興味をもちました。そのころは、読んだ本の影響を受けて、将来やりたい仕事はしょっちゅう変わっていましたね。

人生を変えた「松下政経塾」

 松下幸之助という人を知っていますか?今の「パナソニック」という会社の前身を作った日本の有名な経営者です。私が大学を卒業する時、その松下幸之助が、世直しをする人材を育成するために、松下政経塾という私塾を作ったんです。その第一期生を募集する新聞広告を見てふと応募したのが、人生を変えるきっかけになりました。

 一期生の募集だから、当然実績はありません。パンフレットを取り寄せたら、全部イラストで、そのイラストを見たら何となく夢を感じて、ふと応募していたんです。無口でシャイな私が、合格したことで、人生が変わりました。

 大学が政治学科だったので、本当は政治記者になって、ジャーナリズムの世界で生きていこうと思っていたんですが、政治家を目指してみようと思ったきっかけが、この松下政経塾という人材育成機関だったんです。

 政治家を目指している人の中には、大学時代から弁論部に入る人もいます。政治家になるために、演説やスピーチを学生時代から練習するんです。私は小学生時代の大失敗があったから、まったくそんなことをしようと思いませんでした。人前で話したり、演説したりということには無縁でした。人前で話したりはせずに政治をよくしていきたいという気持ちがあったので、新聞記者になろうと思っていました。だから、松下政経塾がなければ、政治家にはならなかったと思います。

次ページ:「お金に汚きたない政治を変えたい」という思い

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。