若いエキストラに「どこかで誰かが絶対見てるよ」 西田敏行さんの“共演者をとりこにする”素顔を盟友らが証言
「紅白に出場した時だけは“ありがとうな”と」
「写楽考」が評判を呼んだことで、映画やテレビの関係者からオファーが寄せられるようになり、73年から74年に放送されたNHKの連続テレビ小説「北の家族」に大工役で出演。74年の8月には、青年座の研究生だった寿子さんと結婚している。そして、78年に始まったドラマ「西遊記」と、80年スタートの「池中玄太80キロ」で人気は不動のものに。81年には「池中」第2シリーズの主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットし、「NHK紅白歌合戦」出場を果たしている。
当時、西田さんのマネージャーだった舘野芳男氏いわく、
「仕事に関してはマネージャーに厳しい西田さんも、『紅白』に出場した時だけは“舘野、ありがとうな”と言ってくれました」
「かわいい顔と、シリアスな顔のギャップ」
同じ年、西田さんはNHKの大河ドラマ「おんな太閤記」で準主役の豊臣秀吉役を務めている。主演は秀吉の妻、ねね役の佐久間良子である。このドラマで西田さんと共演したせんだみつおは、
「西田さんがすごいなと思ったのは、普段の明るくかわいい顔と、シリアスな顔のギャップ。その二つを両立させられるところでした。楽屋では常に冗談を飛ばして佐久間さんを笑わせる一方で、本番になったら武将の顔にビシッと変わるのです」
主役の佐久間もそんな西田さんの魅力のとりこになっていた。
「佐久間さんは現場に入ると、“西やん何時入り?”と楽しみにしていて、“今日は西やんとのからみがあるからうれしいわ”と飛んで跳ねてましたからね。佐久間さんの心をカメラの裏でつかんでしまったんです」(同)
また、撮影現場ではスタッフに「ありがとう」とお礼を言って回り、07年に「浅草ふくまる旅館」で共演した際には、若いエキストラの役者にまで「どこかで誰かが絶対見てるよ。頑張って」とエールを送っていたという。
「亡くなってから西田さんの魅力を改めて考えていたんですが、歌は出す、司会はやる、『植村直己物語』では僻地に行く、ヤクザ役もコメディーもできる……。同世代には有名な役者さんが何人もいますが、そんな人はまずいない。あの世代の最高峰だと思います」(同)
後編【「この番組が終わる時は戦争が起こる時だ」 西田敏行さんが語っていた「ナイトスクープ」に対する思い】では、共演者が語った西田さんの俳優としての「プロの姿」、そして長年局長を務めた「探偵!ナイトスクープ」への熱い思いについて報じる。
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