ジャイアント馬場に「あんたの力が必要だ!」と懇願された名レフェリー「ジョー樋口」がスキンヘッドになった深い理由
「日本に行ったら、ジョーを頼れ」
今年は、ジャイアント馬場の没後25年。各地でメモリアル展などがおこなわれたが、1999年1月に没した際、馬場が興した全日本プロレスを退団した人物が、主だった人物が2人いた。1人は愛弟子のプロレスラー、ジャンボ鶴田(同年3月に引退)。もう1人が、レフェリーのジョー樋口だった。
ジョー樋口といえば、レフェリーでありながら選手に巻き込まれる形で失神してしまう場面が多かったことで有名である。椅子による攻撃をかわした選手の軌道上にいて、もろにフルスイングで椅子を食らったり、ブレーンバスターで投げられた相手の足が後頭部を直撃したり、3カウントを跳ね返された選手が反動で樋口に覆いかぶさったり……果ては、フリッツ・フォン・エリックの乱撃を止めようとしたところ、得意技のアイアンクロ―で顔面を掴まれ、そのまま投げられたことも。...