プロ野球選手が選んだ第二の人生は「ドジャースの番記者」 最大の転機は「日本のエース」のメジャー挑戦だった

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「一度はアメリカに住む」と決意

 オリックスには7年在籍し、通算成績は1勝3敗1セーブ2ホールド、防御率は7・91。2021年10月にオリックスから戦力外通知を受け、12月に巨人と育成契約。2022年の春季キャンプは途中から1軍に参加したが、開幕後は二軍と三軍の登板にとどまり、11月に自身のYouTubeチャンネルで引退を発表した。

 そして第二の人生が幕を開けたが、そもそも鈴木さんはアメリカという国に強い関心を持っていた。

 成長するにつれ、アメリカの音楽や映画に親しむようになり、プロ入りしてからは2019年、オリックスからプエルトリコのウィンターリーグに派遣されたことも大きな影響を与えた。アメリカのマイナーリーグでプレーする自分の姿を想像したこともあったという。

 鈴木さんはオリックスで一軍出場を目指して厳しい練習に耐えながら、留学資金を積み立てた。そしてオリックスから戦力外通知を受けた頃、「一度はアメリカに住む」と決意を固めた。

 前回のインタビューで鈴木さんは「ロサンゼルスに語学留学する予定」だと明言していた。妻も生まれたばかりの子供も一緒に渡米し、3人家族が2年間、ロスで生活するとプランを明かしてくれた。

 最終的な夢は母校・雪谷高校で野球部の指導者になること。そのためにも全米の野球場を回り、MLBの“神髄”を自分の目で見てみたいと語っていた。

フジテレビの依頼

 実際に鈴木さんは2023年春に一家で渡米し、ロスの語学教室で英語を学んだり、全米の野球場を回ったりしていた。ところが、である。今年は「MLB記者」として精力的にドジャースを取材しているのだ。一体、アメリカで何が起きたのか、鈴木さんに話を聞いた。

「転機となったのは、山本投手が2023年12月にドジャースとの契約を結んだことです。フジテレビさんから『ドジャース担当の記者になってチームを取材し、ニュース番組でレポートしてくれませんか』と打診されました。オリックス時代に山本投手との縁が生まれましたし、渡米したことでも様々な縁が生まれ、その縁が縁を呼ぶという形で、フジテレビさんから声をかけていただきました。アメリカでの勉強の日々は本当に充実していて、2年の留学では全く足りないと思っていました。アメリカで収入を得られれば、それだけ滞在を延ばすことができます。本当にありがたいお誘いで、ぜひお願いしますとお答えしました」

 鈴木さんはドジャースの担当記者として登録され、チームの番記者となった。取材パスを持ち、ドジャースタジアムの中で取材を重ねる。ビジターゲームも可能な限り、チームに帯同するようにしている。そして「MLB記者」や「MLB取材キャスター」の肩書で、映像でのレポートを行っている。

 フジテレビ系列で平日夕方の午後4時50分から放送されている「Live News イット!」で日々の取材成果を伝えているほか、自身のYouTube公式チャンネルなどでもドジャース情報を配信している。

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