プロ野球選手が選んだ第二の人生は「ドジャースの番記者」 最大の転機は「日本のエース」のメジャー挑戦だった

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 デイリー新潮ではノンフィクションライター・長谷川晶一氏の「異業種で生きる元プロ野球選手たち」を連載している。プロ野球選手を引退した男たちの“第二の人生”は保育士、うどん屋店主、機動隊員、イチゴ農家、准教授──と多岐にわたる。そして、本稿で取り上げるのは「MLB記者」に転進した元投手だ(全2回の第1回)。

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 2023年1月、デイリー新潮は、

巨人投手からYouTuberへ…鈴木優さんが語る“自分はプロで通用しないと痛感させられた大投手の名”
Youtuberになった元巨人「鈴木優さん」が明かす今後 長谷川滋利氏に相談した米国留学の中身

の2本のインタビュー記事を配信した。取材を依頼したのは鈴木優さん。1997年2月生まれの27歳で、オリックスと巨人でピッチャーとしてプレーした。

 父親の仕事の関係で名古屋市に生まれ、小学校4年生で東京都目黒区に転居。地元の軟式野球チームに入り、高学年になった頃には手応えを得ていたという。

 中学では野球部に所属し、さらに地元のクラブチームにも参加。キャッチャーとして頭角を現すが、次第に「自分でも投げてみたい」という想いが強くなっていく。

 複数の高校からスカウトされたが、そのほとんどは「キャッチャー鈴木」を評価した結果だった。ところが、ただ1校だけ「ピッチャーでもいい」と理解を示してくれた。それが東京都立雪谷高校だったのだ。

 鈴木さんは「野球で高校に行く」とは考えていなかったため、中1から学習塾に通っていた。結果、一般推薦でも大丈夫という成績だったため、スポーツ推薦は辞退。晴れて雪谷高校に入学し、野球部の門を叩いた。

後輩は山本由伸

 当初は「ピッチャー兼キャッチャー」の二刀流だったが、次第にチームのエースに成長。高2の終わりには複数の大学からスカウトされた。そして迎えた高3の夏、東東京大会の準々決勝で関東第一高校に敗れてしまったが、「都立の星」として注目を集めた。

 ドラフト会議ではオリックスから9巡目に指名され、2015年に入団。一軍のマウンドに初めて立ったのは入団1年目の9月30日。京セラドーム大阪での対西武戦で、9回表に登板を命じられた。結果は打者3人を相手に2安打2失点、ほろ苦いデビューだった。

 プロ初勝利は2020年7月。新型コロナが猛威を振るう中、無観客のメットライフドーム(現・ベルーナドーム)で対西武戦に先発した。5回裏まで無安打と好投したが、右腕が痙攣していたこともあって降板。チームは6対0で勝利し、高卒の都立高出身者ではプロ野球史上初勝利という新たな記録が誕生した。

 だが、その後は伸び悩んだ。2017年には山本由伸投手が入団。何より鈴木さんにとって強い印象として残ったのが、山本投手の「野球を思う存分、楽しむ能力」だ。登板の前は緊張しているはずだが、マウンドに立つと野球そのものを楽しんでしまう。「なかなか、あれはできません」と鈴木さんは振り返る。さらに翌18年にはフォーム改造に着手。不安視するコーチもいたが、あくまで自分の意志を貫き、成功させてしまう。

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