パリ五輪で“低身長イジメ”と言われても…恨み言を口にしなかった「森秋彩選手」 勝利至上主義に毒されない“強さ”のワケ(小林信也)

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 パリ五輪スポーツクライミングの複合ボルダー競技。高い位置に設定された最初のホールドに身長154センチの森秋彩(あい)が何度も飛びつくが届かない。見る者はその姿に怒りを募らせた。

「身長の低い選手を排除するイジメのようなセッティングじゃないか!」

 森は13回ジャンプしたが届かず、第1課題を0点で終えた。その理不尽さに欧米からも非難が上がった。

〈結局ボルダーは7位。リードで1位と挽回したが総合4位にとどまった〉とメディアは報じた。このさりげない報道には“突っ込み”が必要だ。そもそもスポーツクライミングに「ボルダー・リード複合」という種目はない。ボルダー、リード、スピードが独立している。五輪採用にあたって種目を増やしたくないIOCが東京2020では「3種目複合」にし、パリではスピードだけ単独にした。競技の尊厳を、五輪基準を理由に平気で踏みにじるのはIOCのお家芸だ。

 森は登る高さを競うリードの第一人者だ。昨年の世界選手権覇者。W杯でも計5回の優勝を誇る。パリ五輪でもリードは1位。それは通常なら“金メダル”を意味する。ところが森は一切、恨み言を口にしていない。彼女のその清々しさに私は打たれた。なぜ彼女は、勝利至上主義に毒されず歩んでいられるのか? その理由を知りたくて、つくば市のジムに森を訪ねた。

「複合は選手には負担がありますが、見る側には逆転も利くしゲーム性があって面白いのかなと思います」

 他人事のように言った。セッティングに関しても、

「クライミングではよくあること。単なる私の実力不足です」

 こちらの怒りと裏腹に森はさっぱりしていた。

握らず、ぶらさがる

「最初にちょっと登ってみましょうか」、そう言って森は実技を見せてくれた。色とりどりの壁をゆっくり登り始め、左右に移動し、また上に向かう。やがてテンポが速くなる。軽やかに壁面を滑る森の姿は、水面を気持ちよさそうに移動するアメンボのように見えた。直立した壁なのに、重力の妨害を感じさせない。森を見てクライミングの概念が一変した。ホールドを握っていない、つかんでいない、力強さを感じさせないのだ。ただふんわりと、壁に触れているだけで壁面と調和し、気の向くままに移動する。

「握ると腕の筋力を使うのですぐ乳酸がたまります。だからなるべく握りません。指先だけでぶらさがる感じ」

 専門的にはオープンハンドというスタイル。指で握り込むのでなく、手のひらを広げて指先を引っかける。

「指先3ミリあれば大丈夫」と言って、水平の板にぶらさがり、グイッと背中で勢いをつけ30センチ上の板にジャンプした。全身のバネ、登りたい気持ちのままに体が動く……。

「楽しい。スポーツクライミングはすごく好きです。登っていて快感がある。ずっと歩き続けるより、登り続ける方が楽(笑)」

 何時間でも壁と戯れていられる。筋力を使わないから疲労しにくい。

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