南極氷山で流しそうめん、昭和基地では本格フレンチ…「南極料理人」が語る“極地の1年間”

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昭和基地の料理人

 年が明け、越冬隊交代式がおこなわれた2023年2月1日が中川さんの本格的な仕事始めであった。第63次隊の調理人から、中川さんたち2人は厨房を引き継いだ。そしてその日から1年間、相方である長谷川雄一隊員とシフトを組み、さまざまな食事作りに取り組んでいった。シフトは3日ぐらいおき。一日三食の食事の他、さまざまな食事を担っていった。

 食堂には4つテーブルがあり、そこに7人ずつ座り、隊員が一堂に会して食べるというのが基本スタイルだった。いつも主菜、複数の副菜、スープを用意した。たとえばある日の夕食はサンマの開き、煮物、お刺身、酢の物、ハマグリのお吸い物だった。朝から晩までほぼ休憩はない。息抜きとなるのは、毎日午後3時ごろ、鹿児島にいる妻のところに3~5分、基地内のwi-fiを使って、LINE通話をすること。その時間は、子どもたちの就寝時間にあたる。

「顔を見ながら、妻や子どもにおやすみを言っていました。みなさんが夕食を食べ終わるぐらいには全部片付け終わって、その日の仕事は終わり。その後は飲みながらおしゃべりしたり、オーロラを撮ったりしました」

 長谷川隊員は過去に越冬経験のあるベテラン。洋食専門だが何でも作れた。一方、中川さんも和洋問わず、なんでも作った。

「和食が専門ですけど、オムライスや麻婆豆腐にラーメンにカレーライスといろいろ作りました。ときにはバングラデシュのカレー、鹿児島料理といった“変わり種”の得意料理を出したり、鍋やたこ焼きにしたり、バリエーションをつけました」

 日々のまかないのほか、野外調査用に出かける隊員用や夜勤者の弁当を作った。時には工夫を凝らしたフルコース、イベントの日にはスッポンや高級牛肉など特別な食材を使ったごちそうなどの用意をした。またひな祭りや七夕の際には、それにあわせた献立を考えた。

「その他、状況にあわせての調整は日々行いました。外作業がガッツリの日は重めのメニューにしようとか、ブリザードがあって基地の外に出られない日は軽めの飯にしようとか。出そうとしていた料理が、相方とかぶったときもそう。彼が直前に出していた場合、変更するようにしました」

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