インタビューで突然泣き出した熊切あさ美 芸能界デビューのきっかけは小学校時代の「いじめ」だった
48度目のオーディション
――どのようにしてオーディションを受けたのでしょうか。
今みたいにネットがなかったので、「デビュー」「オーディション」という雑誌を買ってきて、色々受けました。でも、落ちまくっていました。48度目のオーディションでようやく合格したんです。それが、「チェキッ娘」です。
――どのようなオーディションだったのでしょうか。
電話投票とジョイポリスでのシールによる人気投票です。本当は友達に言って、投票してもらったがほうが良いのですが、「どうせ、また落ちるだろう」という思いがあって、親以外、誰にも言いませんでした。でも、1つだけズルをしちゃって……。
――どのようなことですか。
テレビの生放送で合格発表されるのですが、その生放送の前に、ジョイポリスに行って、自分でシールをいっぱい貼ったんです。そうしたら、生放送で「熊切さん、おめでとうございます。シールの数、1位です」と言われて……。引き笑いでしたね。
――それだけ、受かりたい気持ちが強かったでしょうか。
そうですね。当時は高校3年生。これでダメだったら、もう芸能界は諦めようと思っていました。保母さんか、バレエの先生になるつもりでした。
――オーディション合格後は、順調でしたか。
レギュラー番組が決まったり、CDデビューや写真集も決まったりして、環境は恵まれていました。ただ、メンバーの人数が多くて、マネジャーからは「あさ美、そんなに大人しいと、この世界からすぐに消えるよ」と言われて、ハッとしたんです。それからは前に出るようになりました。
――「チェキッ娘」を卒業後の活動はいかがでしたか。
運が良くて誰かしらが支えてくれて、グラビアをやったり、レギュラー番組もありました。ただ、段々、露出も減っていって……。20代前半くらいから「崖っぷちアイドル」と名乗っていました。
自ら命名「崖っぷちアイドル」
――「崖っぷちアイドル」という名前はどのようにして生まれたのですか。
23歳の時に、「さんま御殿」に出たんです。当時、さんまさんは「あなた、何している人?」と最初に聞いていたんです。私はグラビアも卒業していて、「グラビアアイドル」でもないし、「タレント」というほど、テレビにも出演していなかった。
自分で考えて、「『崖っぷちアイドル』です」と言いました。そう言えば、みんな優しい目で見てくれるかなと思ったんです。さんまさんはすごく面白がってくれました。そこから仕事が増えていって、関西の番組にも出るようになりました。
――これまでの人生のターニングポイントとなると、何になりますか。
やっぱり、「チェキッ娘」になった時が一番の転機ですね。良かったのか、悪かったのか。普通の世界に生きて、普通に結婚していたほうが幸せだったかもしれないと思う時もあります。
第1回では、39歳でグラビアに再挑戦した時の気持ちなどを語っている。
第3回では、ヘア写真集の依頼もきたという芸能界での仕事ぶりを語る。
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