「骨折も見事にY字路になっています」 110歳まで痛みが続くと言われた横尾忠則の“骨折”エピソード

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 何が痛いって、骨折をした瞬間のあの痛さはちょっと他に例えようがないですね。僕は4度骨折をしています。右手親指、肋骨、左足親指の骨折、右足の下駄骨折です。あのポキッと折れた瞬間は想像を超える痛さです。思い出したくないので、ここでは克明にあの瞬間の激痛については書きたくないですね。病気自慢といって、病気を愉しく語る人がいますが、自分のことを語るより、人の病気自慢の話を聞く方がさらに恐ろしいですが。

 最近、僕の周辺の友人、知人がそろってポキ、ポキと骨を折りました。僕の友人、知人だから、みんな老人です。ほとんどの人が滑って転んでの骨折です。歳を取ってからの骨折はそのまま歩けなくなってしまって、そのために足の筋肉が弱って、下手すると寝た切り老人になってしまうというのです。

 10年ほど前、僕は家の中でスリッパを履きそこなって滑って転んで、右足の側面を骨折してしまいました。よくある骨折で下駄骨折という病名がついているくらいです。骨折した日はなんと大晦日の日でした。救急車で病院に搬送されましたが、救急車に乗るのもやっとで、えらいことになってしまったと思いましたね。

 何しろ大晦日だから病院の先生もほとんどいません。まして外科の先生などはいなかったのです。だから応急処置といっても、レントゲンの技師もいませんし、外科の看護師もいないのでギブスを当てることもできない。病院は年明け5日まで休業だったのです。この間、大した処置もされず、再び家に戻されるのですが、救急車は帰ってしまったので、タクシーで帰るしかありません。骨折したままでタクシーの乗り降りは死ぬほど痛くてつらい。どのようにして家の中に入ったのか覚えていません。

 ベッドに横になったまま身動きもできない。先ず一番困ったのはトイレです。今でも恐ろしくて、思い出したくないので、書けません。深夜に何度かトイレに行くのは命がけです。2階で寝ている妻をどうにかして呼んでトイレに深夜何度も行くのですが、どのようにして行ったのか、記憶にないのです。痛さのために記憶も失くなるのか、今こうして書いていますが全く思い出せません。

 元旦のお餅は食べられません。骨折時は餅とシャケと豚肉は精がつくので食べてはいけないという言い伝えの知識はありました。何度もポキ、ポキ骨折を繰り返しているので、こういうことはよく知っているのです。

 そして正月5日にいよいよ入院です。知人の院長先生の計らいで一番広い2間続きの病室を用意してもらっていたのです。この部屋はかつて何度も入院したなじみの病室です。骨折以外でも2年に1度の割合で入院していましたので、まるでわが家に帰ってきたような懐かしさと安心感があります。

 知人の外科の先生がとりあえず主治医です。先ずレントゲン撮影の結果、右足の右側面がY字路の形に骨折していました。先生は笑いながら「さすが横尾さんはY字路をテーマに絵を描いておられるだけあって、骨折も見事にY字路になっています。もし早く治したいなら手術が一番です」と。「とんでもない、骨折の手術なんて恐ろしい。時間がかかっても自然治癒で治します」と僕は言いました。

 ところが完治して歩けるようになるのに2ヶ月もかかってしまって、2ヶ月半の入院です。この間リハビリ治療があるのですが、2ヶ月半も歩かなかったので両足の裏の皮膚が硬くなってしまって、見た目には変らないのですが、猫の肉玉みたいなものが足の裏の皮膚内部にできて、歩くのが気持ち悪くて、靴を履くと痛くて歩けない。若い頃なら2ヶ月位歩かなくても平気ですが、80代になるとすでに足の老化が激しく、全く予期しなかった足の不調に困り果ててしまいます。あれから10年近く経つのに、未だに足の裏が猫の肉玉みたいになって、歩行は困難です。もはや、この肉玉は持病化してしまったのです。

 また左足の親指は家の階段でけつまずいて骨折。だけど数日後に富士山の5合目に行く仕事が入っていたので、病院へも行かず、ギブスも当てないまま、「痛い、痛い、痛い」と連呼しながら富士山に行きました。この骨折は下駄骨折の数年前ですが、未だに痛みます。先生に聞くと、「多分30年間は痛むでしょうね」、です。30年といえば110歳になるまで痛みが取れないということです。僕が死んでも痛みだけはこの地上に生存し続けるのです。なんだか凄い話でしょう。

 今でも冬の寒い日になると、左足の親指の骨が痛みます。だから、笑われるかも知れませんが、夏でも湯タンポを入れて寝ています。足の親指が冷えて痛いので湯タンポで暖めるのです。そんなわけで、もうこれ以上骨折はしたくないので、行動にできるだけ気を付けて、滑ったり、転ばないようにしています。家の中はあちこちをバリアフリーに設定して、手スリをつけ、それにつかまって歩いたり、時には杖を使うこともあります。最近は何もしないで立っているだけでヨタつきます。皆様も気を付けて骨折だけはしないようにして下さい。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年10月24日号掲載

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