巨人ファンはもっとCSに怒ってもいいのでは? 今季「8ゲーム差」のDeNAに敗退…有名OBは「誰が考えてもおかしな制度」と指摘

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ナベツネの猛反対

「パ・リーグは起死回生の策として、プレーオフ制度の導入を決めます。2003年1月に開かれたオーナー懇談会で、まず3位と2位のチームが最初に戦い、勝者が1位のチームと対戦。最終的に勝ったチームがパ・リーグ優勝とし、日本シリーズに進むというルールを定めました。なぜプレーオフの導入を決めたのかと言えば、当時のパ・リーグは消化試合の観客減が深刻な問題になっていたからです」(同・記者)

 優勝チームが決まると、残り試合は誰も球場に来ない。そのためパ・リーグは年140試合を135試合に減らしてでも、プレーオフを実施することを決める。

「これに激しく噛みついたのが、当時巨人のオーナーで読売新聞主筆の渡邉恒雄氏でした。7月のオーナー会議で『セとパで試合数が異なるのも問題なら、最後の何試合かで突然3位のチームが勝つこともありうる。そんな日本シリーズはバカバカしい』と痛烈に批判。もし実際に3位のチームがセ・リーグの優勝チームと日本シリーズを戦うことになれば、『これだけ食い違うなら一緒に行動はできん』と吐き捨て、日本シリーズをボイコットすることも示唆したのです」(同・記者)

「たかが選手が」

 そして2004年のシーズンが開幕すると、パ・リーグに激震が走る。6月に近鉄とオリックスの合併が合意に達したと発表されたのだ。6球団が5球団に減るのだからプレーオフどころの騒ぎではない。パ・リーグが消滅して1リーグ制になることも現実味を帯びた。

「渡邉恒雄氏は1リーグ制を強く支持。さらに選手を守ろうと奔走していた、当時ヤクルトのキャッチャーで、プロ野球選手会の会長だった古田敦也氏を『分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が』と批判しました。この2点で渡邉氏はプロ野球ファンの反感を買います。最終的には楽天が“白馬の騎士”としてパ・リーグに加盟。12球団2リーグ制が維持され、プレーオフも予定通り実施されることになりました。この年は3位が日本ハム、2位が西武、1位がダイエーという順位だったのですが、今で言う“ファーストステージ”が始まると、再びパ・リーグに激震が走ったのです」(同・記者)

 観客が球場に詰めかけたのだ。8試合の観客動員は34万8000人。1試合平均4万3500人に達し、グッズや売店の売上げを合わせると1試合で数億円の収入が転がり込んだ。これでオーナー側の風向きが全く変わってしまう。

「実際の試合は、3位の日ハムは2位の西武に敗れました。ところが1位のダイエーも西武に負けてしまったため、西武が1位に決定。日本シリーズに進んで中日と対戦しました。結果は西武が4勝3敗で勝利したため、プレーオフまでは2位だったチームが日本一になってしまいました。CSの原点と言える2004年のプレーオフと、それに伴う日本シリーズでは共に下剋上が発生したという事実は興味深いと言えます」(同・記者)

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