1200万人動員の韓国ホラー「破墓/パミョ」は「反日」映画か? 「娯楽映画に政治を見る」ことの愚
「反日」か「反大日本帝國」か?
ある種の映画を「反日」と断じる人たちは、何をもって「反日」というのだろうか。「日本人を悪く、醜く描く」だろうか? そうであれば、日本人を侮辱的かつ差別的なステレオタイプ(小柄でメガネのガリ勉、ダサい非モテのヲタク)で描いてきたアメリカ映画のほうが、反日的に思える。
「悪役が日本人」だろうか? 例えば日本人の強烈な悪役が登場する映画に、その一方で心ある日本人が登場した場合、それは「(広く一般としての)日本人を悪として描いている」といえるのだろうか。それとも「日本そのものを悪く書く」という意味だろうか。そこで使われる「日本」はどの日本だろうか?
もちろん韓国映画で日本や日本人が悪役、敵役として描かれがちであることは否定しない。それはハリウッド映画の敵役に「ナチス」が多いことと同様に、日帝時代という歴史を持つ韓国で、日本は人気の敵役なのだ。
だがドイツがそうした映画に「反独的だ」と反発したという話は聞いたことがない。ナチス体制の一部として戦争犯罪に関わった人間を探し出して訴追するなど、現在のドイツ自体が「反ナチス」だからだ。
この点でいうなら、韓国映画でも現在の日本を激しく悪しざまに描くものは、そう多くは作られていない。ほとんどすべての「反日」映画が「反大日本帝國」映画である。筆者自身、当時の日本の戦争犯罪と自分は全くの無関係とは思ってはいないが、自分がなじられているかのような感情的反発は覚えない。
なぜなら戦後の日本もドイツ同様に、政治体制や統治体制が180度転換し、まったくの別の国だと理解しているからだ。「反日」と反発する人は、そうは思っていないのだろうか。
映画を「反日」という言葉で語ること
ちょっと面白いのは、「破墓/パミョ」が韓国の一部の保守派から「抗日、反日によって根拠のない民族感情を煽り、左翼を結集させている」という攻撃を受けたという話だ。日本で「反日的」とされた作品だから、さぞや韓国では……と思いきや、である。
舌戦の主は、「破墓/パミョ」と同時期に公開され異例の大ヒットを記録したドキュメンタリー「建国戦争」のキム・ドクヨン監督。同作は独裁者として知られる初代大統領イ・スンマンを人間として再評価する内容で、野党からは歴史修正主義という批判もうけている。要するに「真の愛国はこちら」と言いたいのだろう。
つまるところ、どこに視座を置くかによって、世界は右にも左にも、反日リベラルにも愛国にも揺れる。映画を「反日」という言葉で語った瞬間に、語り手は何かに利用されていることも知ったほうがいい。そしてそもそも娯楽映画の向こうに政治を見て過剰反応することにそれほどの意味があるとも思えない。
少なくとも「破墓/パミョ」は日本に対するそれなりの理解と敬意があり、韓国映画の今がわかる刺激的な作品でもある。「反日」に騙されたら損である。
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