23歳「西郷真央」米LPGA新人王へ “優勝せずとも上位入り”の手堅さで「日本女子ゴルフ34年ぶりの快挙」なるか

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小林浩美に続くか23歳の西郷真央

 プロゴルファーの強さの指標には、さまざまなものがある。世界ランキングやポイントランキング、あるいはメジャー勝利数や通算勝利数、獲得賞金額は、しばしば選手の枕詞として使われる。そして、プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞することは「選手として最高の栄誉だ」と言われる。

 ルーキー・オブ・ザ・イヤー、いわゆる新人賞も、もちろんとても栄誉なアワードだが、デビュー年しか受賞することができない。その意味では、一生に一度の希少なアワードと言っていい。

 同じ年にどんな選手たちがデビューしたのか。そんな周囲の顔ぶれや強さにも左右されるため、ある意味、運命的なアワードという面もある。実際、世界ランキング1位に上り詰め、現在の米女子ゴルフを席捲している米国人選手のネリー・コルダは、米LPGAのデビュー年にルーキー・オブ・ザ・イヤーを取り損ねた。

 これまで米LPGAに腰を据えて挑戦した日本人選手はどうだったのかと言えば、樋口久子や岡本綾子、平瀬真由美、福嶋晃子、宮里藍も、近年では畑岡奈紗や笹生優花、渋野日向子、古江彩佳も、全員がルーキー・オブ・ザ・イヤーを逃した。

 ただ一人、日本人でルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは1990年の小林浩美のみだった。しかし今年は、23歳の西郷真央が小林に続く2人目の日本人受賞者となるべく、受賞にリーチをかけている。

創設当時は米国勢の独壇場

 米LPGAのルーキー・オブ・ザ・イヤーは、優れた新人選手を讃える目的で1962年に創設された。

 過去の受賞者リストには、錚々たる名前が並んでいる。初年度の1962年に受賞したのはメアリー・ミルズという選手だった。1970年はジョアン・カーナー、1973年はローラ・ボー、1975年はエイミー・オルコット、1978年はナンシー・ロペス、1984年はジュリ・インクスター。当時は米国勢が圧倒的に強かった。

 そこに突然、割って入るように1990年の新人賞の栄誉をもぎ取ったのが、現在はJLPGA(日本女子プロゴルフ協会)会長を務める小林浩美だった。

 そして、まるで小林が流れを変えるきっかけになったかのように、以後は徐々に外国人選手の勢いが増し始め、1994年はアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)、1998年はセリ・パク(韓国)、2003年はロレーナ・オチョア(メキシコ)が受賞。

 驚くなかれ、2005年のポーラ・クリーマー以後、米国人選手はルーキー・オブ・ザ・イヤーから完全に遠ざかり、毎年のように韓国をはじめとするアジア勢が新人賞に輝くようになっていった。

 ちなみに、米LPGAのルーキー・オブ・ザ・イヤーは投票や討議で決定されるわけではない。ポイント制ゆえ、国籍や出身地域に左右されることはなく、きわめてフェアに選び出される。

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